2016年7月14日木曜日

町民も職員も熱かった海士町

隠岐諸島の海士町(中の島)を訪ねた2日目、朝から海士町役場の吉元操さん(写真:総務課長)から、ここ数年の海士町の変化をお話しいただきました。さらに“現場を見なければ理解できない”と、タクシーで一緒に島内の案内役までお引き受けいただきました。吉元さんが語る海士町の過去と現在と未来…。海士町が大好きなことがビンビン伝わってきます。70人の役場職員、2300人の島民が皆こんな気持ちで毎日を過ごしているんだったら、町は変わります。

 吉元さんが言います。「町の経営指針は、自立・挑戦・交流です。町長もお話ししたと思いますが、隠岐諸島の島々で合併協議が行われて、私もその事務局に在籍していましたが、やはり海が町を隔てていて、合併して1つの町になっても、町民が便利になるかと言えば、そうは思えなかったわけです。それで合併をやめました。そんな中で平成16年、島の生き残りをかけて海士町自立促進プランを策定しました。手始めに給与カットが始まりました。そうしたら老人クラブから補助金の返上依頼があったり、バス料金も値上げしたほうが良いとか、住民の町政参加意欲が格段に高まりました。おかげで財政状況は徐々に好転しています。中・長期目標は、挑戦を続けることが基本になっています。人口減少は鈍化し、希望の持てる町政への転換が定着しました。ですから挑戦は続けなければいけません。第1次産業で島に産業をつくり、外貨を獲得すること、まさに交流を大切にした戦略です。サザエカレー、イワガキ、活イカ、隠岐牛、海士乃塩、干しナマコ…。多くの産物が生き返り、雇用が生まれています」。

 山内町長と吉元課長、共通するムードがあったので、こっそりお聞きしました。「もしかして青年会活動してましたか?」。すると吉元課長、「私も町長も青年団で、これでもかと言うくらいの活動をしていました。分かります?」。ハイ、分かります。どうりで波長が合いました。

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