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2025年9月3日水曜日

雷よけ呪文の始まり


 明け方までの稲光と雷鳴で、何度か〝クワバラ、クワバラ〟と口にしたような…。これ、雷よけの古典的な呪文です。1556年(弘治2年)、摂津国の欣勝寺にあった井戸に雷の子が落ちて…。

 その井戸はとても深く、雷の子はどうしても外に出られません。ついに〝出してくれ〜!〟と大声で助けを求める始末…。そんな雷の子に対し、和尚さんはサッサと井戸にフタをして懲らしめます。しばらくして井戸の底から、「和尚さん助けてください。このお寺やお寺が建つ桑原には二度と雷は落としません」との声。ニヤリと和尚さんは微笑み、「よし約束するなら出してやろう」と答え、井戸から救い出し証文を書かせ、天に帰してやりました。

 現在も欣勝寺(兵庫県三田市桑原)には雷井戸が残っています。同じように雷よけにご利益がある神社は全国に数社あって、仙北市西木町西荒井の雷(いかずち)神社もその一つです。
※写真上は三田市文化協会のHPから


2025年8月19日火曜日

梅沢の踊る大猫


 昔、生保内街道から少し入った梅沢集落に年老いた大猫がいました。日中はほとんど寝ていますが夜になると動き出し、軒下に干してあった手ぬぐいを肩にかけ何処かに出かけます。

 家の者は不思議に思いながら後をついて行くことにしました。どうやら行先は天正寺の境内です。近づくにつれ賑やかな太鼓や笛の音、たくさんの笑い声が聞こえてきました。見つからないよう木の陰に隠れて目を凝らすと…、何やら様々なバケモノが集まり、楽しそうに踊ったり跳ねたりしています。少し手前から手を打ち調子をとる大猫、その音で大猫が来たことを知ったバケモノたちは、「梅沢の大猫が来たぞ。さあ早く踊って見せてくれ」と囃し立てます。大猫はすぐ頬かぶりをして、他のどんなバケモノよりも上手に踊るのでした。

 ビックリした家の者は、気付かれないよう静かにその場を離れました。しかし家に帰ると、その大猫は既に玄関にいて、「オレが踊ったことは誰にも言ってはならないぞ」と、おっかない目で睨み付けるのです。「分かった分かった」と家の者が答えると、安心したようにその場を去って…。その後いったい大猫は何処に行ったか、知る人は誰もいません。
※全国昔話資料集成・角館昔話集(編者:武藤鉄城)

2025年8月10日日曜日

お夏の祟り


 昔、角館を治める芦名のお殿さまが院内の大蔵観音をお参りし、その帰り道に神成沢の民家に立ち寄りました。喉が乾いて仕方なかったのです。その家の娘・お夏がお茶を入れお殿さまに差し出すと、その美しさに一目惚れしたお殿さまは…。

 角館の城に出て身の回りの世話をするよう奉公を命じました。嫌でしたが逆らうこともできず…、お夏のお城務めが始まりました。そんなある晩、お城で客人をもてなす酒盛りがありました。お殿さまはお夏を呼び出し、太閤殿下(豊臣秀吉)からいただいた10枚のお皿にご馳走を盛り付けるよう申し付けました。宴会は大成功でした。ところが客人が帰った後、1枚のお皿が割れていることに気づいたお夏は、びっくりしてお殿さまに報告。お殿さまは思い通りにならないお夏をこの時とばかりに罵り、お皿を割ったのはお夏と決めつけ、ついには城内の枯れ井戸に突き落として殺してしまいます。

 それ以降、夜な夜なお皿の枚数を数えるお夏の幽霊が出てお殿さまは狂乱。奥方は土川の小杉山に移り、また息子は病死、さらに3歳になる孫も縁側から落ちて死亡…、芦名家が断絶したのはお夏の祟りだと言われています。その後、お夏が死んだ井戸は夏の井戸、よく洗濯に行った沢は夏埋沢(なつめざわ)と呼ばれるようになりました。


2025年7月30日水曜日

雨乞石を守る七種木


 今日の仙北市角館は38.1度、観測史上で最高記録です。あぁ一雨ほしい…、と言うわけで最後の手段です。田沢湖の御座石神社鳥居横に鎮座する雨乞石(あまごいいし)を訪ねました。この石を守る七種木(なないろぎ)は…。

 まず雨乞石ですが、これは看板(倒れてる…)で分かるように、潮神を祀った石です。潮の流れを司っています。潮の流れは風の流れ・雲の流れで天候と表裏です。たぶん大昔に雨乞いの儀式でこの石を使い、中央の長方形のくぼみに田沢湖の水を満たし…、ご祈祷を行ったのではないかと想像しています。分からないのは七種木です。看板には「雨乞石を守るため、七種類の木が一株から自然に生えた」とあります。

 何か悪しき存在が雨を降らせるために儀式を行う、それを阻止するために、松・杉・桜・槐・えご・ 榛・梨を芽吹かせたのでしょうか。だとしたら、まるで黒澤映画の「七人の侍」です。農民を守り、地域を守り…。雨乞石と七種木、お話しができたら聞いてみたいことばかりです。

2025年7月29日火曜日

最強の抱返神社で雨乞い


 仙北市田沢湖の抱返神社(だきがえりじんじゃ)は、たぶん県内最強の雨乞い神社です。龍神や水波能売神(みつはのめのかみ)を祀り、これまで内外の皆さんの信仰を集めてきました。この夏のお天気続きで…。

 農家の皆さんは水不足対策に懸命です。それで全県の農家代表(自称)で抱返神社を参拝、「何とか適度の雨をお願いします」と雨乞いしてきました。ここで雨乞いをしたのは2度目です。前回は2012年、玉川ダムの水が枯れてダムに沈んだ集落が見えた年です。あの時は市長として関係省庁に要請活動をしましたが、一番最初に訪ねた場所が実は抱返神社でした。どうして抱返神社の力を信用しているか…、この辺り一帯は開墾地ですが、昔から水が不足していたため、奈良から水神様(水波能売神)を分けてもらって守護神としたこと、さらに龍神(水神)を祀っているのですから、こんな場所は他にありません。干ばつの度に雨乞いをして、その度にちゃんと雨が降り、多くの農民を救ってきた実績も最大評価に値します。

 ちなみに、県内には他にも鹿渡の雨乞い伝説、森山の雨乞い伝説などがあります。森山の雨乞いは、夜中に松明を灯し、桶に入れたイワシの塩辛を担いで山頂に登り、禿倉の扉に塗って逃げ帰る、なかなかシュールな方法が記録に残っています。

2025年7月13日日曜日

神隠し


 夫婦は声の出る限りに娘の名前を呼びました。間もなく日没です。嫌な予感がよぎります。ふもとの集落が大騒ぎになったのは、血相を変えて夫婦が山から降りてきて間もなくでした。さっそく捜索隊が組織され…。

 畑に近い山を中心に多くの人が探し回りました。ところが、いくら探しても探しても、どこにも娘の姿はありません。もう日没です。夜には捜索もさらに困難になります。みんながそう考え始めた時でした。「帰ってきた、帰ってきたぞ」と暗くなった山道の向こうから声が聞こえました。夫婦はその声に駆け寄り、娘を抱きしめることができました。

 娘を見つけたのは、奥山の木材を切り出す仕事に行っていた男でした。みんな娘がどこにいたか聞きました。男が答えました。「奥山の作業場の近くに開けた場所があるだろう。あの平地の大岩の上に座っていたんだ。誰かと話しをしていたようだった」と。その大岩は大人も登ることができないような勾配です。そこで話しをしていた相手は…。


2025年4月29日火曜日

海を渡った妖怪トラベラー


 妖怪トラベラー初の海外レポート。はたして台湾に妖怪はいるのか…、台湾生まれ・台湾育ちの友人2人にお話しを伺いました。1人は台北市内で茶房荘子を経営する荘之萱さん(右上)、もう1人は…。

 台湾外交部(外務省)を退任した郭仲熙さん(右下)です。荘さんは「すこし前、友人夫婦がタケノコ採りで山に入り、魔神仔(モーシンナァ)と出会ってしまったそうです。魔神仔は目があった人間を災いに引き込む妖怪です。2人はお祓いをして今は平穏な暮らしができています」。また郭さんはスマホで検索し、「台湾で最強の妖怪が魔神仔とあります。人間を山奥の洞窟に誘い込み悪さをするようです。魔神仔のことを口にすると災いが起こると信じる人が多いので、誰も魔神仔のことは話題にしないのでは…」と。

 やはり台湾にも妖怪はいそうです。さらに都会よりも田舎に異界の存在が多く、先住民族には信仰と直結するケースもあると聞きました。興味は尽きません。
※写真左は魔神仔イメージ画。右中は実在する魔神仔の洞窟。


2025年3月13日木曜日

西和賀の人形送り


 所要で岩手県西和賀町。下前地区に伝わる奇祭・人形送り行事は先週の日曜日でした。と言うことは、今日だったら作りたての藁人形に会える…。そこで少し遠回りをして県道12号を走ると…。

 いました。地区の境界林に真新しい藁人形が一体、木に高々と縄で括られています。この人形送りは秋田県内の人形道祖神と同じ意味があって、藁人形は地区内に悪霊が入り込まないよう目を見開いて見張る大役です。行事当日にお供えしたお団子や御神酒はありませんでしたが、地区の思いを感じるには十分な藁人形でした。

 町内には下前のほか、白木野、左草の3地区に人形送りの行事が伝わっているそうです。来年はぜひ当日にお伺いしたいと思います。

2025年1月22日水曜日

カッパ寺へ聖地巡礼


 都内台東区の曹源寺。別名カッパ寺とも呼ばれ、カッパの手のミイラが安置されています。ご近所のカッパ橋道具街は、今日も外国人観光客で大賑わいでした。でも小路に入れば喧騒は嘘のよう…。

 そのカッパ橋の名前の由来ですが、1つは濡れた雨合羽を橋の上で干していた…、もう1つはカッパ伝説で…。その昔、この辺りは湿地帯でよく洪水被害が起きました。そこで合羽屋の喜八が私財を投じ、河川改修や橋の架替を行ったそうです。その際、かつて喜八に命を助けてもらったカッパたちが、夜ごと工事を手伝い喜八に恩返しをした…、それでカッパの名称がついたと伝わっています。

 その喜八の菩提寺が曹源寺だったことから、カッパも一緒に祀られてきたようです。写真上はカッパ大明神を祀るカッパ堂前の夫婦カッパ。写真下の左はカッパ大明神の掛け軸、中はカッパの手のミイラ、右は賑わうカッパ橋道具街。もうエリア全体が聖地です。


2024年4月1日月曜日

姫神山の悲恋物語


 大仙市大曲の姫神山を訪ねました。ここに平安時代後期、安倍貞任の娘・鹿姫と源義家の悲しい恋物語が伝わっています。

 10年以上も続いた前九年の役、姫神山の松山城に居城した安倍貞任は、朝廷軍の源義家と激烈な戦いを繰り広げます。しかし貞任の娘・鹿姫は敵将の義家と恋に落ち、2人は深く愛し合う仲となりました。そして鹿姫は義家の子を身籠り…、ついに貞任の怒りは狂気に達し、鹿姫を生きたままカメに入れて埋めてしまうのです。

 この物語は、大仙市内のお話し会でお聞きいただく予定です。実は悲恋物語には怖い後日談もあります。が、そのお話しはまたいつか…。

2024年2月8日木曜日

吹雪の夜の出来事


 日中バタバタで目標歩数を歩けなくて…。仕方なく夜になってから橋上灯で明るい門屋橋を往復しました。2往復した辺りから天気が一変し、激しい吹雪の中ですれ違った人が…。

 橋の下は桧木内川が流れています。川風も感じましたが山風がその何倍も強くて、雪が横から上から降ってきます。メガネが吐息や解けた雪で橋上灯の光を乱反射して…。視界不良でうつむいたままウォーキングを続けました。向こうから人が歩いてきたので、私は歩道から車道に出て道を譲りました。でも…、すれ違った時に違和感がありました。風のせいかな、足音が聞こえなかったのです。えっ?と思い、少ししてから後ろを振り返りました。誰もいません。

 すれ違った人が男だったか女だったか…、いえ、人だったかどうかも分かりません。

2024年1月27日土曜日

秋田怪談に大沼の河童


 秋田怪談(竹書房文庫)が店頭に並びました。鶴乃大介さん、卯ちりさん、戦狐さん3人の共書です。戦狐さんは私の妖怪マスターで、以前お話した大沼の河童を取り上げてくれて…。

 仙北の河童と言うコラムで掲載をいただきました。今から20年ほど前に遭遇した実話です。場所は仙北市田沢湖の大沼公園…。河童を見てしまった私と子ども2人の驚きが、手にとるようなリアルな描写で紹介されています。その他、秋田3地区(県央・県南・県北)ごとに、合計40の怪異なストーリーが描かれていて…。

 秋田の都市伝説の詳細を知ることができますが、果たして知ることが良いのかどうか…。

2024年1月9日火曜日

雪のワラ人形さま


 仙北市桧木内の吉田集落に伝わるワラ人形(人形道祖神)さま。新年のご挨拶にお伺いしました。毎年お米の収穫後、新しいワラで全身を作り変える市内最後の人形道祖神さまで…。

 吉田集落の磯前神社参道に建っています。毎年10月、集落の皆さんが総出でワラ人形さまづくりを行い、1年経過すればまた作り替えて…、をずっと継続してきました。すごいです。仙北市内では各地に人形道祖神さまがいますが、吉田のワラ人形さま以外はお面が残るのみ。場所によってはお仁王さま、鹿島さま、人形さまなど、その呼び名も多彩です。でも役割は一緒で、集落に疫病が入り込まないよう、また五穀豊穣や集落安全を願う地域信仰のシンボルと言って良い存在です。

 頭や肩に積もる雪を払いもせず、集落に侵入しようとする邪気に睨みを効かせるワラ人形さま。さらに県内では多数の道祖神さまが集落を守っています。

2024年1月5日金曜日

記憶の神かくし


 初めてメルカリに出品し、売れました!。大好きな「とうほく妖怪図鑑(山口敏太郎著)です。えっ?、大好きな本をどうして手放したかって?…。はい、実は記憶の神かくしが…。

 同書は東北6県に伝わる妖怪58ストーリーが綴られています。豊富な参考文献と緻密な取材で、私の疑問の幾つかも解決してくれました。そんなに愛読しているのに手放す理由は…、2冊あるからです。最初の1冊を買って半年ぐらい後、また書店で見つけて買ってしまいました。2冊目を買う時、「これは素晴らしい資料を見つけた!」と、以前に買ったことを完全に忘れて即購入したのです…。

 家に帰り、本棚に同じ本を見つけてショックでした。が、すぐ思い直すことにしました。きっと1冊目に買った記憶は神かくしにあったんです…。

2024年1月2日火曜日

魔除けの正月とろろ


 田沢ながいもは仙北市の伝統野菜。ねばりとコク、なめらかさが別格です。今年もすり鉢とすりこぎで正月とろろ(写真)を作りました。この辺りは元旦の朝に食べますが…。

 ところによっては2日だったり3日だったり、出汁も味噌味だったり醤油味だったり納豆汁だったり…。食べ過ぎ飲み過ぎで疲れた胃を守る食習慣ですが、ビックリしたのは、とろろを家の門前にまいて魔除けにする地域があること。調べてみると、ひそかに秋田の県南、山形や北陸でも行われているらしく…、あぁ、見てみたい!。

 美味しくて、健康に良くて、魔除けにもなる…、正月とろろは最強です。

2023年12月18日月曜日

やんばるのブナガヤと


 やんばるエリアは沖縄本島北部の呼び名です。多様で固有性の高い生来系が評価され、全域が世界自然遺産に登録されました。ここに伝説のブナガヤ(写真)が生き続けていると聞き…。

 妖精研究家としては、黙っていることができません。沖縄には古いガジュマルに住むキムジナーと言う妖精がいます。私はブナガヤは地域によって呼び名が違うキムジナーだと思っていました。でも、どうもそうではないようです。写真は廃校になった喜如嘉小学校に住み着いたブナガヤ。近所の資料館では、もっとリアルな数体のオブジェを見ることができます。

 ああ、沖縄は魅力的です。

2023年10月19日木曜日

カッパが彫った木版


 由利本荘市大内の菅原家(屋号は仁左衛門)に伝わる木版。馬にいたずらをして捕まったカッパを仁左衛門が許したことで、カッパがお礼に差し出した木版と伝わります。さらに…。

 写真は、噂に聞いた木版を持って緊張の面持ちのワタシ。だってこの木版…、命乞いをして許されて、それで何か仁左衛門さんにお礼をしなければと、カッパが一生懸命に手彫りをした木版です。水難を避けるお札の原版で、すごくご利益があったそうです。カッパが恩人のために木版を彫る姿を想像してみてください。実際に木版のズシリと思い感触もあって…、何だか触れてはいけない異界の存在に触れたような感覚です。カッパが大好きなワタシには、身体の震えが止まらない体験になりました。

 さらに…、この伝説には続きがあります。優しい仁左衛門さんは、家に帰るカッパに赤飯を持たせたと伝わっています。カッパはどんなに喜んだでしょう。またカッパは仁左衛門さんの赤飯がとても気に入り、毎晩のように裏木戸に来て赤飯をせがみ、仁左衛門さんもその度に赤飯を持たせてやったそうで…。後年、仁左衛門家では毎年陰暦の12月25日の夜、女岡橋の上から川に赤飯を流すことを習わしにし、その行事は明治まで続けたそうです。
※木版には文字も彫り込まれていて、「このすかた持たる人江あたをなす川童従類たやす」とあります。どんな意味なのでしょう…。
※菅原さん、突然のご訪問に対応をいただき感謝申し上げます。久々に興奮しました!。ありがとうございました。

2023年7月25日火曜日

大都会の妖怪トラベラー②


 妖怪トラベラー②は、先日、都内・ホテル雅叙園の「和のあかり✕百段階段2023〜極彩色の百鬼行〜」を訪ねたときのこと…。

 東京都指定有形文化財の百段階段をのぼるごと、現世から妖艶な異界へと誘われて…。夕暮れに現れる異界への道は全国に存在すると言われています。その道を進んだ先は妖怪やモノノケの世界です。ホテル雅叙園東京の百段階段はまさに異界への道で…。しかも現代アートと日本的な色・光をコラボレートした空間、そして音楽、これはエンターテイメントです。そして階段を上り終えて行き着く先は…。

 ホテル雅叙園東京には旬遊紀があります。そう、TVドラマ「ソロ活女子のススメ」で、江口のりこさんがソロ活中国料理を堪能した名店です。私的には、先ず地元のラーメン屋さんに1人で入れるよう訓練です。

2023年6月18日日曜日

正眼寺の龍


 由利本荘市道川の正眼寺を訪ねました。観音堂の天井に描かれた龍(写真)が天井から抜け出して…。

 境内に出没し村人たちを驚かせたり、水神として寺を火事から守ったり、いろいろ不思議なお話しが伝わっています。この龍を描いた人物が赤田の閑居様で知られる是山和尚。和尚は龍と親交があったので、この絵にも特別な法力が秘められているのでしょう。

 ご住職と一緒に観音堂へ。そして絵を仰がせていただきました。あれっ?、天井の龍が何か語りかけてきたような…。

2023年6月11日日曜日

ケサランパサラン


 ご縁をいただき山形県鶴岡市。県内で38個体が確認された未確認生物ケサランパサランのうち、2個体(写真)が加茂水族館に展示されています。私はクラゲに脇目もくれず…。

 ケサランパサランの不思議な力は、江戸時代にはある程度の認知があったようです。東北地方、特に山形県庄内地方では“幸福をもたらす存在”として珍重されてきた記録があります。見つけたら家宝とし、家の繁栄を願って代々継承されたと…。長い間、生物なのかどうかもはっきりしませんでしたが、最近になり植物系と動物系の2タイプに分類される研究成果をお聞きしました。

 加茂水族館に展示のケサランパサランは、同水族館の館長だった村上龍男さんが発見したもの。当時の水族館は入場者が過去最低で存亡の危機に瀕していました。しかしケサランパサランを発見し、同時期にクラゲの飼育と展示アイディアが生まれ、それが現在の人気水族館づくりの始まりだったと話す人もいます。ケサランパサランが幸福を運んできてくれたのかも…。