2011年8月31日水曜日

岩手河川国道事務所にて


 今日は、八幡平山系に係る直轄砂防事業促進期成同盟会の要望活動で、午前から岩手河川国道事務所(盛岡市内)です。先日、湯沢河川国道事務所でも同じ要望活動をしています。

 出席者は同盟会を構成する雫石町・滝沢村・八幡平市・仙北市の各市長と議長。要望は平成24年度関連事業の着手と予算の獲得。これに対し、今日出人所長が良いお話しをしてくれました。「震災の復興事業が優先されているイメージだが、災害予防の予算を確保し、災害が発生する前に手当をしておかないと、また後追いになってしまう。震災を教訓として、新たな視点で防災対策が必要なことを認識している」とのこと。

 例えば今回の大震災時、津波をくい止めた自動車専用道路などは、これまで周辺住民の進入を阻止する概念で設計されていたものが、避難ヶ所として数百人の命を救った実例もあったそうで、国交省では避難が容易にできるよう、盛土した路体の法面に階段を設置する動きがあるんだとか。

 ところで仙北市は、来年の全国火山フォーラム会場に、とのお話しがあります。駒ヶ岳の地温上昇が不安要素となっている現在、多くの専門家においでいただきながら対策を充実できればと思います。

2011年8月30日火曜日

くり丸、カッコイイ!


 さて、駅伝大会本部でいただいた麦茶の紙コップに、見たことのないキャラクターが貼ってあります。「このキャラクター、何だろう。カッコイイなあ」と思っていたら…。

 先日、17日に開催された戸沢氏祭りで、西明寺中学校の出店テントでも、同じキャラクターの紙コップが使われていて、やっぱり好評だったそうです。西中の田口校長先生に聞いたら、「これはウチの3年生、佐藤紗彩さんが書いたオリジナルの戸沢氏キャラクター。祭りでデビューしたけど、名前はえ~っと、何てったかなあ。くり…」。

 写真は少しピンぼけですけど、実物はとてもよく描かれています。名前、くり丸でした。

復興に向けてタスキをつなげ


 「第41回大曲仙北中学校田沢湖一周駅伝大会・第16回大曲仙北中学校女子田沢湖一周駅伝大会」で地元中学校の各チームが大健闘しました。

 写真は男子スタート直前のスナップ。スターター役は何度やっても緊張します。今回も全20校から男女それぞれ31チームが出場しました。大曲南中学校の駅伝部、佐々木部長がとても良い選手宣誓。「被災された皆さんに勇気や元気を感じてもらえるよう一生懸命にタスキをつなぎます」。感動しました。

◎成績《男子》
1位:千畑A 2位:大曲A 3位:角館A 4位:仙南A 5位:六郷
6位:平和A 7位:西明寺A 8位:太田A 9位:生保内A 10位:南外

◎成績《女子》
1位:千畑A 2位:六郷A 3位:大曲A 4位:太田A 5位:角館A
6位:仙南A 7位:生保内A 8位:大曲西A 9位:平和A 10位:協和

 みんな、本当にガンバッタ!! 

ささらの大競演


 新聞にも大きく取り上げられた「仙北・大仙ささらの大競演」(大山文夫実行委員長・市・教育委員会共催)。素晴らしい一晩でした。

 会場となったたざわこ芸術村の駐車場は、開会の3時から既に大入りでしたが、日没過ぎになったらさらに混み合い、ピーク時には1000人規模の観衆で埋まりました。今年は東日本大震災で亡くなった方々のご供養もあわせ、各地から参加をいただいた16団体がささらをスリます。夜になれば、舞が篝火に浮かび上がる幻想的な情景に…。

 ささらは大切な伝統文化です。

2011年8月28日日曜日

花火っていいなあ


 写真は花火に見入る70万人の皆さん。それにしても素晴らしい一晩でした。昨年に続き台湾の駐日代表所からお客様をいただき、大仙市・実行委員会関係の皆さんのご配慮で、大曲の花火を堪能することができました。

 ところで、自分の席のすぐ後ろに見覚えのある方がいたのでごあいさつ。岩手県平泉町長の菅原正義さんです。菅原町長は綺麗な奥様とご一緒で、今回の大会提供花火「奥州曙光」を見に来たとのこと。震災後、世界遺産に登録され、東北が、日本が久ぶるに喜べたニュースでした。

 その奥州曙光、涙が出てきました。後ろで菅原町長も感動で何度もウナッていました。台湾からの皆さんにも喜んでもらえて。「花火っていいなあ」。

2011年8月27日土曜日

赤い人・青い人


 写真は台湾の横断歩道に設置されている歩行者用信号機。赤い人が仁王立ちしている間は「止まれ」。これが横断可になると、下のランプの中の青い人が、ゆっくりと歩いている画面に変わります。

 その青い人、「そろそろ横断できなくなるよ」的時間になると、少しずつ早く歩くようになり、赤信号に変わる20秒ぐらい前で、ついには走り出します。最初はゆっくり歩いていて、時間が来れば走り出す…。

 今日は大曲の花火です。台湾の駐日経済文化代表所からお客様が視察にみえます。天気が良くて何より。10月末で自分の任期も半分が過ぎます。最初から走っていたような気がしますが、後半はさらに全力疾走しないとマニュフェストの達成や、市民の皆さんの要望にお応えすることができません。

 民主党の代表選挙は間もなく告示。国政にもこんな分かりやすい信号機があったら良いのに…。ところで仙北市行政に台湾の信号機が付いていたら、今はどんな色の人が、どんな早さで歩いて(走って)いるんでしょう。

2011年8月25日木曜日

ふるさとマイスターに3人


 左から大石辰夫さん(83歳)、佐藤喜一さん(83歳)、真崎正子さん(71歳)。3人は仙北市で制定した「せんぼくふるさとマイスター」に認定された皆さんです。今日、この3人に認定状の交付を行いました。

 時代の流れの中に消えてしまう技や知識、味、言い伝え、郷土の宝と呼べるものは文化の結晶です。そんな広範な分野で現在も活躍し、伝承役を果たしてもらえる方々を、ふるさとマイスターに認定する事業がスタートしました。大石さん、佐藤さんは茅手・茅葺き職人、真崎さんは伝統料理・郷土料理指導者として活躍されています。

 この後も、多彩な顔ぶれがマイスターに認定される予定です。皆さんの周辺にそのような方がいたら、是非お知らせください。

2011年8月24日水曜日

重大な決意


 秋田内陸縦貫鉄道の第83回定例取締役会に出席。前後のスケジュールがあって、今回は公用車で北秋田市の阿仁庁舎へ。途中、1時12分着の列車を比立内駅でお迎え。車中は可愛い笑顔がたくさん乗っていました。

 今日は、かくのだて保育園のお友だちの「ポッポ屋体験会」です。運転席に座ったり、紙芝居を見たり、ないりっクンと遊んだり…。楽しい一日になったかな。

 さて取締役会。平成24年度までの経営計画が協議案件です。この説明の中で、若杉社長が辞任の意向を表明しました。理由は一身上の都合ですが、取締役会は若杉社長の重大な決意を受けこれを了解。若杉社長は「内陸線の社長職は、フルタイムで勤務しても足りない事業量がある。早急に専従できる後任の社長を選定して欲しい」と話しました。

 目標としている赤字額2億円、乗車人員60万人をクリアするため、若杉社長は経営の合理化で支出削減、収入アップの軌道を敷き、頑張ってこられたことに敬意を表します。自分は経営に責任がある立場にいます。今後、さらに深く会社の経営に努力を傾注します。

新しい出会い


 一昨日の夜、ある県の議員の方と会食。いろいろとお話しをさせていただきました。なぜ自分?の質問には、新しい取り組みの現状と成果をお聞きしたかったから、とのお答え。

 市民満足度カウンターや地域運営体など、結局は「人と人、市民と行政の結び直しなんですね」が、理解の一致点だったように思います。市民満足度カウンターについては、「政治家とすればその評価が数値で表れるので、公開することが命取り(政治家として)になる行為ではないか」、これが先様の第一印象だったようです。でも「市民の皆さんに、行政の現状を全てお知らせして意見を聞くことは、物理的に無理があって。これはその1つの手法。現状を市民はどう評価しているか、何に不満があるか、コメントをいただき、それに答えることができるシステムに改善した後は、双方の情報共有のツールになってきた」ことをお話ししました。

 地域運営体、これはまだまだ未熟な制度化も知れません。先日の角館地域運営体説明会でも同様のお話しをしました。自らの地域を自らがプロデュースすることは、考えてみれば当たり前のことではないでしょうか。その財源の担保があるかないか、現在の地域運営体には、それがあります。決して行政が市民に丸投げするのではなく、一緒にまちをつくっていく形民主主義の本来の姿だと思います。

 改めて注目度が高い取り組みになっていることを感じました。あと…、秋田の日本酒が美味しいと、各銘柄を飲み比べているご様子。これも嬉しい発見でした。秋田に乾杯。

2011年8月21日日曜日

台湾レポート⑧「北投の夜」


 調印式が終了後、関係者が一同に会し、北投温泉の「水美温泉会館」に集合。水美会館は先ほど一緒に調印をした北投温泉開発発展協会の周水美理事長が経営するホテルです。周さんは2人の子どもがいる女性実業家。調印のセレモニーなどは全て周さんの企画だったといいます。

 写真は、交流会で関係者が輪になって「万歳三唱」(中締めです。写真中央の和服姿の女性が周さん。この和服は訪問団からのプレゼント。実は中締めの後、約3時間にわたる交流活動をした猛者が多数いたことを翌朝聞きました。やるなあ)。

 自分は、例の如く歌って踊ってお酒をいただいて、汗だくのヨレヨレ。でも良いお酒で、しばらく興奮が冷めず眠れませんでした。本当に多くの収穫をいただいた台湾訪問でした。

 馮寄台・駐日代表に両温泉の友好調印をご相談してから1年と半年。常にお支えいただく幸運に恵まれました。多くの関係者の皆さん、市民の皆さんに、重ねて謝謝!、終。

台湾レポート⑦「感動の調印式」


 8月19日は、今回の台湾訪問のメインイベント「北投温泉と玉川温泉の友好調印式」です。会場となった台北市庁舎市民ホールの設営で、昨日の夜遅くまで多くの皆さんが汗を流したお話しを聞きました。心から感謝を申し上げます。

 セレモニーはとても和やかなムードで進行しました。始めに地元小学生による台湾伝統舞踊の発表、続いて日本の温泉文化を彷彿とさせる浴衣姿の子ども達の行進。佐竹知事のスピーチ、ハウ台北市長の歓迎の言葉も素晴らしい内容でした。
 写真は調印式が終わり、各自が署名を披露(右から関湯瀬ホテル社長・自分・佐竹知事・ハウ台北市長・陳台北市産業発展局長・周台北市温泉発展協会理事長)している様子。玉川温泉水と北投温泉が、大きな透明容器に注がれて一体になるパフォーマンスや日本式の鏡開きなどが続き、台湾のマスコミの皆さんも驚いた様子。

 今回の調印式、台北市政府や秋田県の協力がなければ、この規模でのセレモニーはできなかったと思います。今春3月25日に予定していた調印式は、3月11日発生の大震災でいったん延期、再度の日程調整を始めたのが6月でした(この間もずっと駐日台北経済文化代表所、亜東関係協会などからアドバイスを受けていました。代表はじめ皆さんにはお礼の言葉も見あたらないほどです)。周理事長、関社長、高橋仙北市国際交流協会会長…、多くの関係者から絶妙なタイミングをセットいただきました。

 この後、北投温泉・台北市との交流が始まります。観光分野だけではなく、医療と健康を促進するための台湾からの医師招聘(国内法の改正が必要)、また商業ベースでの連携など、可能性は無限大です。今回の調印はその「はじめの一歩」です。

台湾レポート⑥「県と合流して」


 8月19日、仙北市国際交流協会(高橋練三会長)一行と別れ、新幹線で再び台北市へ。秋田県と山形県が合同で行う航空会社訪問に合流。自分は高雄からの移動で最初のエバー航空を欠席しなければいけませんでした。

 台北駅で下車しタクシーで復興航空本社へ。台北も暑い。午後からは35度になるとか(めげないで頑張ろう)。タイミング良く本社前で佐竹知事、津谷北秋田市長とお会いできて、そのままミーティング室へ。しばらくして吉村山形県知事も到着。ほどなく総経理(日本でいえば代表取締役社長)の陳さんがにこやかに見えられ、意見交換会をスタート。佐竹知事は「まずは9月8日のチャーター便の運航に感謝を申し上げます。さらに秋田の空港2箇所と山形の空港2箇所があれば、多彩なイン・アウトの旅行商品が可能です。内陸縦貫鉄道も併せて、ぜひ利活用のためのチャーター便を増便いただければと思います」とあいさつをされました。
 陳総経理は「日本便は昨年度実績で1000便。今年が少ないのは、東日本大震災の状況が不明だったからです。でも8月以降は前年同様ぐらいまで高めたいと思います」と話されています。

 内容は次に訪れた中華航空(写真:自分の左隣が吉村山形県知事、その隣が陳総経理、佐竹知事、津谷北秋田市長)も同様ですが、チャーター便の運行に実績のある復興航空と、定期便の多い中華航空ではメニュー内容も違います。中華航空では秋田運行を既に検討しているらしく、かなり前向きなお話を伺うことができました。

 訪問は復興航空訪問の後に昼食をはさんで中華航空、その後で台湾交通部観光局でした。この昼食が大変でした。復興航空の余りの歓迎ぶりで、お昼からビールがテーブルにどんどん出てきます。台湾では「ホッターラ」といって、グラスを空にあけて何度も返杯を続けるルールがあります(これが常識。これを破ることは非常識、非礼にあたる行為です。厳に慎まなければいけません)。いい気になって杯を重ねたため、終わり頃はフラフラ。後からの中華航空、観光局は何とか職務を全うできましたが、この夜に開催された亜東関係協会主催の歓迎レセプションでは、全くの役立たずに成り下がってしまいました。反省。

台湾レポート⑤「高雄市政府表敬」


 自来水公司を後に、高雄市政府を表敬訪問。何と立派な市役所でしょう。一番驚いたのは、玄関から入ってすぐ右側にある市民苦情センター。24時間体制で電話を受け付けているそうです。このセンターで働いている皆さんは、身体のいずれかに障害を持っている方々だといいます。障害を持った皆さんの雇用促進の場としても評価が高いと説明をいただきました。

 さて応接室で待機していると、7月末に転倒して腰を痛めた陳市長にかわり、副市長の陳さん(同姓です)、観光局長の陳さん(これまた同姓です)、秘書所長の黄さんなど、市幹部の皆さんが来てくれました。
写真は陳副市長にお土産を披露している場面。角館の伝統工芸品「樺細工」をお見せすると、「とても美しい品物です。日本の文化や技能は素晴らしいですね」と絶賛をいただきました。

 自分は「姉妹湖締結から24年が経ちました。今後とも観光連携、また商業・工業振興でお互いの交流をさらに深めましょう。仮に高雄市内の企業が日本でのビジネス展開を考えているのであれば、最大の応援もさせていただきます」とあいさつ。陳市長は「私どもにも何なりとお話しください」と力強いお言葉。さらに「歓迎の会を準備しています。親交を温めましょう」との提案。郊外に新しくオープンしたショッピングモール(ホテル・レストラン・遊園地など)に案内をいただきました。

 会場はカラオケセット完備の大宴会場。「乾杯」のセレモニーが終了した途端、爆発的な瞬発力で歌が始まりました。台湾の皆さんは誰もがエンターティナーです。市政府の立法院秘書、林さんはどんな日本の歌もご存知で、すぐにハーモニカでメロディを奏でてくれます。そのハーモニカの演奏と、カラオケの大音量で息切れがするほど。自分は吉幾三さんの演歌と踊りをご披露申し上げて…、写真がなくて何よりです。

台湾レポート④「たつこ飛翔像」


 自来水公司のお取りはからいで、澄清湖に建立されている「たつこ飛翔像」を見学。ここで澄清湖と田沢湖の姉妹湖締結の歴史を説明しましょう。

 1986年、田沢湖商工会は秋田魁新報社の論説委員長だった渡部誠一郎氏から、冬の田沢湖観光の起爆剤にできると台湾からの誘客を提案いただきました。外交評論家の加瀬英明氏からは「澄清湖と田沢湖の姉妹湖締結を行えば、将来的な事業展開が見込まれる」との助言をいただいたそうです。

 姉妹湖締結は1987年11月に実現。当時の高雄市政府、自来水公司、台湾外交部亜東関係協会など関係者のご協力は相当のものだったと思います。その後、何度かの台湾訪問と合同写真展などを経て、1990年、彫刻家有賀敬子氏製作の「たつこ飛翔像」を自来水公司に寄贈。田沢湖からも関係者が多数訪台して、建立記念式典が開催されました。このお返しにと1991年、田沢湖に「飲水思源像」が建立されました。

 澄清湖の「たつこ飛翔像」は周辺整備が近年なされ、一帯が澄清湖のシンボルになっています。台座の側面には馴染み深い多くの民間企業や個人の名前が刻み込まれていて、仙北市自治体外交の象徴といえるブロンズ像です。

台湾レポート③「自来水公司」


 8月17日午後、高雄市内の自来水公司第7区管理所で熱烈な歓迎を受けました。全職員の玄関でのお迎えから始まり、大会議室に入れば卓上には花、また高雄市自慢のフルーツの数々やお茶などが用意され、台湾の皆さんの心遣いは本当に感動的です。これまでの旧田沢湖国際交流協会の活動があればこその対応だったと思います。関係の皆さんに謝謝!。

 自分はごあいさつのスピーチで、「まず高雄市の澄清湖と田沢湖が、24年間にわたって交流をいただいていることに謝意をお伝えします。さらに東日本大震災では大変なご心配をおかけしました。仙北市は直接的な被害は最小レベルです。ですが観光客は激減しています…。先ごろ自来水公司からいただいた30万元以上の義援金は、仙北市が支援を続けている被災地(岩手県や福島県の市町)にお届けさせてもらいました。被災先から感謝のメッセージも持参しています」などなどお話ししました。王さんからは「今後も田沢湖との友好の絆をさらに強く結び合いましょう。災害復興では、何なりとお話しください。可能な限りの協力を惜しみません」との言葉をいただきました。

 その後、王さんに岩手県の宮古市長・山田町長・大槌町町長職務代理者から託されたサイン入りメッセージを手渡しました。国際交流の本質的な姿を体感した気がします。

 写真は大会議室での歓迎会風景。窓の外には澄清湖が広がっています。自分の手前が王さん。似つかわしくない冗談にもお付き合いをいただいてすみませんでした。王さんは素敵な人格者です。

台湾レポート②「酷暑の高雄」


 写真は台湾高速鉄道の車体ノーズ。台北駅から高雄市までの345kmを最高速度300km/h、ノンストップ便では所要時間約1時間30分で結んでいます。日本の新幹線技術を初めて輸出して完成しました。

 ところで高雄市は台北市よりも南ですから、本当に暑くて暑くて…。高雄市の左営駅に降りた瞬間、目まいがしました。でもホームから駅舎に入ればエアコンがギンギンです。原発問題で節電対策を続けなければいけない日本とは大違い。

 駅までお迎えをいただいたのは、台湾自来水公司第7区管理所の王さん。自来水公司は日本でいえば水道企業局のような組織で、第7区は高雄市周辺とのこと。水道も温泉も河川も湖も、全部この自来水公司が管理を行っています。
 さて王さんの経理という肩書きは、この事業体の代表にあたります。つまり表敬先の一番偉い人が、わざわざ駅でお迎えをされるという対応です。これは後になって分かったことです。だから車中では本当に失礼なお話しをしてしまいました。

 「いやあ、これだけ暑いと、女性の服が薄くて短くて、イイッスネ~」。「市長は薄くて短いの、好きですか?」。「だ~い好きっス」…。外交問題になりかねません。

台湾レポート①「台湾へ」


 8月16日。日中の公務が終了後に上京。台湾への出張に備え羽田に近いホテルで一泊です。関係資料を午前2時まで読み込みました。

 いつにないこの真面目さが災いして、翌日(17日)は寝過ごし、朝5時15分発のエアポートリムジンには、ヒゲも剃らず歯も磨かず状態で、やっと飛び乗りました。一緒に訪台していただいた仙北市国際交流協会の皆さん、ご心配をおかけしてゴメンナサイ。ボサボサ頭(気持ちだけ…)で、羽田空港発の中華航空で台北(松山)空港へ。フライト時間は約3時間。

 今回の台湾訪問にはいくつかの目的があります。1つは台湾中部に位置する高雄市(昨年県と市が合併して人口270万人。台湾第2位の都市に)内の澄清湖と、田沢湖の姉妹湖提携交流事業に対する謝意表明です。これまで24年の長きに渡り民間交流が続いています。また1つは秋田県・山形県との合同活動で、台北市(周辺人口で台湾国内第1位の人口で300万人以上と言われる。台湾の首都)内に所在する各航空会社(エバー航空・復興航空・中華航空)へ、旅客便増加要望と新たな観光ルートの提案。さらに仙北市としての最大イベントは、台北市内の北投温泉と玉川温泉の友好関係調印式の実施です。

 国際都市台北との関係構築は、「小さな国際都市づくり」を標榜する仙北市にとって大きなステップです。また仙北市が誇る温泉資源の活用、特に医療・健康政策分野では、台北市が世界の先頭を走っています。相互協力が深まれば、仙北市への台湾医師の派遣が叶うかも知れません(現状は日本の法律改正・特区承認が必要)

 今回の台湾訪問に関する記事は、同行した秋田魁新報社の佐藤朋紀記者の取材で新聞にも掲載されています。このブログでは、新聞には書けない裏話しなどを、皆さんにこっそりとレポートします(写真は北投温泉開発発展協会の皆さんと調印後に記念撮影をしたときのもの。立会人の佐竹知事の顔も見えます)。

2011年8月16日火曜日

子育てをどう応援できるか


 仙北市のホームページを見ると、真ん中ぐらいに「市民満足度カウンター」の表示。ここをクリックすればマニフェストに掲げている政策などについて、市民の皆さんが思うことを自由に書き込みができます。

 以前のカウンターは書き込みも何もなくて、とにかくチェックすればカウントされる状況だったので、どこに不満があるのか、どのように市政を捉えているのかが分かりませんでした。そんな訳で自由書き込みスタイルに変更した経緯があります。

 最近の書き込みで目立つことは、子育てに関する制度・施設の不備や市の対応のまずさなどです。その度にお詫びをしながら、今後は仙北市がどんな子育ての街になりたいと思っているのかを、説明させてもらっています。保育園・幼稚園の施設面での不足を何と補うのか、保育士さんの募集や身分の保障や園自体の将来の在り方、また在宅の子ども達の保育メニュー、子育てサポート団体の育成、安心して遊べる公園の整備や遊具設置、設置後の管理主体のこと…。

 9月になれば、市民の代表、学識者、親の会などの皆さんで構成する検討委員会が発足予定です。園の在り方に限らない、広い視点で「仙北市の子育てをどう応援できるか」の議論をお願いしたいと思っています。

送り盆でささら共演


 角館の送り盆行事。毎年人手が多くなっています。今回は、白岩ささら・広久内ささら・堂ノ口ささら共に、東日本大震災で亡くなった多くの皆さんに対する鎮魂の舞に感じられました。

 立町ポケットパークは、交通規制で一般車両の進入が禁止となります。この路上で復興への誓い、また祖先の霊を慰め、気持ちをリセットして収穫の秋祭りへと繋げます。

 角館婦人会の皆さんをお手本に、小中学生・一般の観光客など一緒になって角館音頭を踊りました。どうか「良いことがたくさん起こりますように」。実行委員会の皆さん、関係者の皆さん、ありがとうございました。

やったぜ!マックス


 ナイスカップ争奪第42回秋田県小学校野球クラブ選手権・第34回秋田県スポーツ少年団大会で、見事全県優勝を果たした角館マックスの皆さん。堂々の優勝報告会です。

 会場は立町ポケットパーク。後で夜の部が開催される「角館の送り盆(ささらの舞共演など)」を観光に訪れた皆さんや、家族・地域の皆さんに祝福されて、少し緊張の様子です。

 全県制覇は並大抵の努力では成し得ません。「全員野球」で勝ち取った勝利です。準決勝戦までは、全てリードされた相手チームを逆転で勝ち進んできました。決勝戦は旭川小学校クラブと戦い、6対2のスコアで力の差を見せつけた格好です。この後も大会があるとのこと。やったぜ!マックス。ガンバレ!マックス。

2011年8月15日月曜日

新成人の皆さんへ


 今日は午後から成人式でした。皆さんが社会に飛び立つセレモニーは、いつ立ち会っても身の引き締まる思いがします。

 301人の新成人の皆さんにお願いをしました。「次代は間違いなく皆さんの手の中にあります。66年前、焼け野原から立ち直った戦後の日本のように、大震災後の社会の仕組みや新たなシステムを作り出すのは、若い皆さんです。どうか東北復興、国家再建にお力をお貸しください。そのためにも自己の充実こそが大切です。小さな頃に思い描いていた夢やなりたい自分に、皆さんは少しでも近づいていたなら幸いです。もし夢を諦めてしまった人がいたなら、今日は自分を見つめる良い機会です。仙北市は多くの課題を抱えながらも、精一杯前に進もうと努力しています。皆さんには瞬発力・突破力・そして柔軟な思考力があります。新しい仙北市づくりにご協力ください。共に汗をかいてください」と。

 東日本大震災で亡くなった多くの若者のためにも、自身の人生を豊かなものにするためにも、時を大切にして生きてください。

収穫ゼロ


 今年は人気の昆虫が少ないような気がします。クワガタやカブトムシなどは、夜に1時間ぐらいドライブをして、注意深く街灯の下を探して歩けば、10匹やそこらは捕獲できたものですが…。

 そんなわけで、昨日の夕方、広葉樹林に分け入ってトラップを仕掛けてきました。このトラップは簡単な仕掛けです。まずペットボトルの口を切って、中にバナナと焼酎を入れます。後は昆虫がいそうな林に置いてくるだけ。で、今朝どんな感じかなあと思って見に行きましたが、収穫ゼロ。仕掛けが悪いのか、餌がお気に召さないのか、はたまたいないのか。もう一晩粘ってみることにしました。

2011年8月14日日曜日

恒例のお盆野球大会


 14日早朝、恒例の中川地区お盆野球大会開会式に参加。しばらく観戦をしていて、お腹がよじれるくらい大笑いができました。

 もちろんファインプレーも出ます。たぶん中川地区の野球レベルはかなり高いと思います。野球が低迷しているといいながら、今でも地区から6チームが参加する〝熱〟がしっかりと継承されています。でも見る側からすれば、プロ野球や高校野球ではお目にかかれない珍プレーの方が楽しいし、何よりか観戦者からの「愛情こもったヤジ」の質も相当なものです。

 もう少し見ていたい気持ちは山々でしたが、能代商業も応援しなければいけませんから…。ということで早々に会場を後にしました。

アリ地獄探し


 小さい頃、夏休み期間中のラジオ体操は神社やお寺を会場にすることが多く、で、だいたいはギリギリに集まって、だらだら踊るように体操をして、その後は上級生から参加した証のスタンプをもらい、それで解散でした。

 ところで、建造物の「床下」のことを、このあたりでは「エバノシタ」といいます。特に神社やお寺のエバノシタにはアリ地獄がトラップをつくっていて、適当な枝を差し込んでアリ地獄を誘い出し、捕獲するのがラジオ体操後の楽しみにもなっていました。

 写真は13日、西明寺大国主神社の脇にあるお墓に参りをした後、子ども達がトラップを発見し、アリ地獄を捕まえているスナップ。思いの外たくさんいましたよ。懐かしいな。

2011年8月12日金曜日

ツール・ド・田沢湖


 まさにツール・ド・田沢湖を見た思いです。平成23年度全国高等学校総合体育大会の自転車競技大会ロードレース会場は、田沢湖周回特設コース。約140人の高校トップアスリートが、集団で湖畔を走り抜けるとき、もの凄い風圧を感じました。スピードとテクニック、落車もありで自転車ロードの激しさを思い知りました。

 ゴールは田沢湖スキー場のレラ駐車場。湖畔を4周した後の登り坂は、本当にハードだったでしょう(車でさえウナッて昇る坂です)に、彼らは鍛えられていました。個人優勝は広島県の大野選手。表彰式でも爽やかそのもの。仙北市実行委員長として閉会のあいさつで、自分は「今日の成績は永遠に刻まれますが、皆さんはここに立ち止まらないでください。そして自身の人生を豊かにするため、日本再生のためにペダルをこぎ続けてください」とお話しをさせてもらいました。気持ち、伝わったかな。

 選手の皆さん、関係者の皆さん、そして市民の皆さん、本当にご苦労さまでした。

2011年8月11日木曜日

駒形での一時


 角館高校の先輩、田口三昭さんと会食の機会をいただき、田口先輩の務める台東区駒形の本社ビル(会社は日本有数の玩具メーカーで、先輩は取締役副社長です)を訪ねました。ビル前には仮面ライダー(写真)やドラえもん、アンパンマンなどの立体像が幾つもあって、自分などはこれだけでもハイテンションになってしまいます。

 さて田口先輩、生まれは旧太田町三本扇、角館高校は自分が入学したときに卒業したぐらいの年の差です。今回初めてお会いしましたが、本当に素晴らしい方でした。実は重要案件をご相談に伺ったのですが、自分の考えの浅さを自戒する結果に…。時間がないからと言って、すぐにできる目先のアイディアよりも、本質的な取り組みの重要性を優しく、温かく諭してくれました。この後は協働作戦も展開できそうです。その成り行きは確かに楽しみですが、それを理由に田口先輩またお会いできることが、何よりも嬉しく感じています。

 秋田は、人物を輩出していることを再認識しました。
 

2011年8月10日水曜日

観光庁と総務省を訪問


 余りの暑さにトケてしまいそうな東京。気を確かに持ってと励まし合いながら、太田観光商工部長と国交省の入っている中央合同庁舎3号館へ。

 溝畑宏観光庁長官との面談は2回目になります。溝畑長官は相も変わらずエネルギッシュ。組織の長はこうでないといけません。9月4日に仙北市で講話をいただく提案は何とかなりそう。各地のマラソン大会に溝畑長官が参加して、大会を盛り上げている話になり、マスコミに乗った「かぶり物(チョンマゲ)」姿で走る溝畑長官の写真も見せてもらって…。思わず「田沢湖マラソンにも参加してくださいよ」と切り出すと、「全国のスポーツイベントを応援するのも観光庁との仕事ですから、もちろん田沢湖マラソンも応援させていただきます」とのお返事。参加は日程的に難しいようですが、観光庁のスポーツ振興担当職員に、視察をいただけることになりそうです。今の規模をグレードアップするために必要な課題をどうやって解決するか、専門家の意見を聞きたいと思います。

 その足で2号館へ移動。ここには総務省が入っていています。大曲養護学校の仙北分校実現に向け、いろいろとご指導をいただきました。これも何とか前に進みそうな感触です。

 とにかく暑すぎて外に出ることが憚られます。夜の企業経営者との情報交換会まで、ホテルに避難します。

食の伝道師「仙北ばぁばs」


 写真が分かり難くて済みません。昨日の午後、食の伝道師「仙北ばぁばs」の初会合が行われ、委嘱状や第1回の意見交換が行われました。

 仙北ばぁばsは、文字の如くお婆ちゃん(お母さん)のことです。特に食文化の豊かな仙北市で、その伝統や技を次代に伝えることは重要な事と考え、市農林部総合産業研究所が中心になって準備を進めてきました。昨日は10名の方々に委嘱状を交付できました。

 2年弱ぐらいで、各地に伝わる季節の料理やそのレシピをまとめ、ばぁば監修の冊子を出したいと考えています。皆さんからも情報をお待ちします。

2011年8月9日火曜日

平和への願い


 仙北市追悼式を挙行。66年前の終戦後、どんなに遺族の皆さんは踏ん張ってこられたことでしょうか…。亡くなった祖母の生き方を見てきた自分も、どこかで共鳴するものがあります。

 式辞で「東日本大震災の被災地に立ったとき、もしかしたら戦地と同様の光景かも知れないと思うと、ただただ恐ろしさで身が震えるばかりでした。原子力が未だ制御不能なものであること、科学力を過信してはいけないという警鐘です。仙北市が災害も争いもない平和なまちになることを心より念じます」とお話をしました。

 遺族会会長の藤原剛さんは、「若き青春の命を、海の中や大陸の雫として散った方々の希望は、故郷に残した妻子や家族、友人達の幸せだったと思います」と声を詰まらせての謝辞でした。

 命がけで守った国は、そんな皆さんの期待に応えられているでしょうか。

2011年8月8日月曜日

全国高等学校総合体育大会で


 写真は美郷町の総合体育館リリオスに集まった、高校総体自転車競技大会出場選手の皆さん。明日からトラック競技が始まります。ロードレースは12日、仙北市の田沢湖畔特設会場で行われます。皆さん応援をお願いします。

 あいさつをした富原忠夫さん(財団法人日本自転車競技連盟会長)のお話が印象的でした。紹介します。

  頑張った人からは知恵が出る

    中途半端な人からはグチが出る

      何もやらない人からは言い訳が出る

 いいでしょ。

白浜が人気


 夏休みになって、田沢湖畔が一層賑わっています。岩手ナンバーの他にも宮城や福島関係の車両が目立ち、白浜では子ども達が元気に水遊びをしています。

 東日本大震災の原発事故などで、福島県からの子ども達が大勢市内に避難しています。その他にも、岩手や宮城の海水浴場が被災したことで、たくさんの皆さんが湖水浴を楽しんでいるようです。若い女性の皆さんやカップルも多く、ちょっとカメラを向けにくい程です。

 どこよりも水質の良い田沢湖です。ゆっくりお楽しみください。

地域防災を考える集い


 8月7日、田沢湖総合開発センターで地域防災を考える集いがありました。51年前の田沢湖大水害を語り伝え、地域の災害対策を考えようと、安全・安心空間づくり実行委員会と市で共催しました。

 事例発表で登壇した奈良昭夫さん(湯沢西地区・災害から生活を守る会会長)は、「湯澤西地区で自主防災活動を始めて10年が経過した。人間の傲慢さや思い上がりが災害を招くこともある」と、福島原発事故なども例に挙げてのお話しでした。

 体験談をお話しいただいた宮城県女川町の阿部貞さんは、仙北市内での避難生活を振り返りながら「仙北は第2の故郷。本当にありがたい。女川をちゃんと復興することで恩返しをしたい」とし、また自身当日の貴重な写真も紹介してくれました(写真)。

 この他、田沢湖水害の紙芝居、岩手大学の井良沢道也先生の講演、それに郷土芸能の披露など、たくさんの協力があって集いは充実することができました。皆さんありがとうございました。

2011年8月6日土曜日

トマル君のお面


 このお面の作者はトマル君と言って、10年ぐらい前は東北芸術工科大学の学生さんでした。当時、かたまえ山森林公園で都市農村交流を行っていて、木のモニュメントづくりに、東北芸術工科大学の有志をお願いすることになり、そのリーダーがトマル君でした。

 トマル君はとても真面目な男の子で、確か長距離走の選手だった記憶があります。大学を卒業後、石工さんになるため修業に入った話を聞きましたが、その後どうしてるかなあと、かたまえ山のモニュメントを見ながら思い出したりしていました。今回の大蔵村訪問で、柳淵分校の教室に飾ってあったお面がトマル君の作品だとの話を聞いて、とても嬉しくなりました。頑張っているんだなあ…、と。また仙北市にオイデ。

アートプロジェクトのヒント


 実は4日~5日にかけ、仙北市のアートプロジェクトに関係する皆さんと新潟県の越後妻有視察を予定していたのですが、先日の大雨で視察先に大きな被害が発生している状況から、急きょ視察を中止しました。

 急きょの対応で、4日は教育民生常任委員会に出席が叶いました。また5日は気になっていた山形県大蔵村のすすき野シアター、柳淵分校でのワークショップの現状を知ることができました。写真に写っているのが主宰者森繁哉さん。越後妻有の様子もよく分かっていて、とても参考になるお話しをいただきました。それにしても、茅吹き屋根の劇場「すすき野シアター」には、もの凄いエネルギーを感じます。市が取り組んでいるアートプロジェクトのヒントが天こ盛りでした。

2011年8月3日水曜日

全国の工芸品づくりを元気に


 写真は、伝統的工芸品産業振興協会の代表理事に就任した田口宗平さん(仙北市角館町在住)。この度、全国組織の同協会の代表になったことで、そのお祝いの会を開催しました。

 田口さんはこれまでも副理事長でしたから、その活動は全国的で海外とのネットワークもお持ちの方です。角館工芸協同組合理事長で、樺細工の普及にこれまでも全力で取り組まれてきました。その田口さんの謝辞から一部を紹介します。

 ~昭和54年と現在を比較すれば、全国の伝統工芸品の売り上げは5400億円から1500億円に、34000社の企業が14000社に、同時に従業員も激減して、まさに失われた30年です。原因は幾つか考えられますが、生活嗜好の洋風化、他分野商品のコストダウン戦略、でも一番は中国製品の影響だと思います。樺細工も模造品を発見し、当時の通産省に何度も法的措置を求めて通いました。この反省から地域ブランドの手法が始まりました。例えば京都の西陣織、角館の樺細工などです。今後はブランドの定着化を進めて、海外も日本の伝統技術を紹介し、関連産業を元気づけたいと思います~。

 益々のご活躍を心からお祈りいたします。

2011年8月1日月曜日

韓国からのお客様


 韓国からのお客様と、角館庁舎の応接室で記念撮影。一行は韓国大田広域市儒城区のハー・テジョン区長と観光部局の皆さん。日本でも有数の温泉地として知られる仙北市と、儒城区の温泉の交流協定の可能性を探るために立ち寄ってくださいました。

 実は川越市長との面談が明日の朝になっているため、もう役所を出発しなければいけない…、ギリギリでお会いして。申し出をいただいた温泉の交流提携については「お恥ずかしいことですが、実はまだ韓国に行ったことがありません。まずはご当地の温泉の素晴らしさを体験するために、何とかお伺いすることを考えたいと思います」とお話しをさせていただきました。

 「訪韓をお待ちします」とテジョン区長。台湾に続き、韓国にも姉妹温泉ができるかな。