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2011年5月19日木曜日

意見交換会で


 写真は、17日午後に行った女川から避難の皆さんとの意見交換会。皆さんとのお話で故郷を思う気持ちの強さや、女川で避難生活を続ける方々への配慮を感じました。

 集まってくれたのは、田沢湖高原の4つのホテルに避難をしている約120人の代表者、また意見交換に参加してみたいという人は自由参加です。

避難者代表の鈴木さんが、「田沢湖高原の山にかかる霧を見て、女川の海の朝靄を思い出します。沢の水音を聞いて潮騒を思い出します。山と海は違いますが、自然が故郷を思い出させてくれます。このような素晴らしい環境の中に私たちを受け入れてもらって、本当に感謝をしています」と、お話しをしていました。

 その後、避難生活で不便を感じていることやご要望などをお聞きしました。山菜とりには皆さんが興味を持ているようで、「迷ったりしないよう、地元の方の水先案内が欲しい」とのこと。また「洗濯物を干すようなスペースの確保」や「公民館事業のメニューを知らせて欲しい」とか、なるほどと思うこおの多い意見交換会でした。お茶のみ会のような雰囲気で、定期的な開催の必要性を感じます。

2011年5月17日火曜日

がんばれ!女川っこ


 15日に行われた生保内小学校の運動会で、一時避難している女川の子ども達が大奮闘しました。また子ども達の応援に父兄をはじめ30人以上の皆さんが、大漁旗を振って声援しました。

 100人以上の一時避難者は、田沢湖高原の4つのホテルに滞在しています。この中で小学生は5人、中学生が4人、地元の小中学校に在校しています。子ども達は友達もできるなど、少しずつでしが落ち着きを取り戻しているようです。また先日は地元の方々が餅つきをしてくれたりで、大人の皆さんの交流も始まりました。地区小学校の運動会への参加などで、ますます仙北市民との交流が活発化してくれればと思っています。

2011年5月16日月曜日

東北暫定行政機構の提案


 今号の広報せんぼくに表題の提案をしました。どんな流れ方か分かりませんが(広報も市のホームページに乗っていますが)、読みたいというお問い合わせがありましたので、ブログでにアップします。

「東北暫定行政機構を提案します」

 大震災後、国や県の復興に向けた動き方を見ていて不安を感じます。私は現状の行政システムを変える、もっとハッキリいうと、県という単位を一時的に見直さなければ、この国難に対応できないのではないかと考えています。例えば岩手県は罹災者を県外に出さない、宮城県は県外避難を容認、福島県は津波被害以上に原発事故対策が後手となり、未だ混乱の中にあるなどバラバラです。一方でいち早く受入れ準備を整えた他県の情報が、ほとんど被災地には届いていません。各県で情報の集約力が未熟だったために、その後の食糧や物資の偏在、ボランティアが殺到する町もあれば、人手不足で運営が困難になっている避難所もあるなど、避難生活の質的な不均衡が起きてしまいました。

 国の復興計画が話題になっています。が、太平洋沿岸部の漁業従事者の高齢化は深刻です。新しい町をつくる前提に、新たな担い手の確保が不可欠です。また仙台に支店をおく企業の撤退対策、ガレキの撤去と処理場の広域確保、食糧団地の育成、工業の分散化、新エネルギー対策、観光の周遊化などなど、一県の枠を越えた課題が山積する中、東京(霞ヶ関)が東北の価値や役割を理解し、本気で明日の東北を描こうとしているのか、個人的には甚だ疑問です。

 私は、東北が自らの手でビジョンを策定し実践する組織「東北暫定行政機構(仮称)」の設置を提案します。東北六県は、緩やかに一体化した行政機構(メンバーは六県知事と国務大臣、市町村長代表者など)を立ち上げるべきです。国はもちろん地方も財源を持ち寄り、各県・市町村議会代表者で復興事業の適否を協議しながら、県の枠を越えて復興事業を押し進めるのです。民間企業にも大いにご協力をいただきたいと思います。

2011年5月15日日曜日

山田町の沼崎町長と


 5月15日、午前の山本市長(宮古市)に続き、午後からは沼崎町長(山田町)とお会いすることができました。また山田町消防団の菊地民雄団長、広域消防山田消防署の米澤秀樹消防指令長にも同席をいただきました。

 沼崎町長は「昨日現在で安否不明者は299人。この全てが亡くなっているとは言い切れない。中には避難所を巡ったり、または県外の親類宅に身を寄せたり、そういう町民がいる可能性もある。町の消防団に、これ以上の遺体発見をお願いすることはできない。仮設住宅の建設も進んでいる。もうすぐ入居できる住宅もある。人手の面では専門性の高い行政職員の派遣を更にお願いしたい」と話していました。菊地消防団長も「9人の消防団員が亡くなっている。地震発生直後から行方不明者を探してきて、やれることは本当に全部やった思いだ」と胸の内をあかしてくれました。

 仙北市の佐藤団長は、「ご要望があれば遠慮なく伝えて欲しい。同じ消防団として、これまでの活動には頭が下がる思いだ。仮設住宅に入居する皆さんに、花をプレゼントする用意もある。心のケアにも貢献できる」と語りました。

宮古市の山本市長と


 仙北市消防団(佐藤生治団長)が災害復興にどんな役割を果たせるのか、直接被災地の皆さんから情報をいただこうと岩手県宮古市・山田町を訪問しました。

 仙北市消防団からは佐藤団長生治団長、佐々木久悦副団長、田口忠正副団長、鈴木重蔵副団長が、また市からも関係職員が同行。お忙しい中、宮古市では山本正徳市長とお話しをすることができました。山本市長は「仙北市には災害発生直後から支援をいただき、大変感謝をしている。宮古市では3月11日当日、沖に出ていて被害を逃れた漁船を中心に、既に市場も動き出している。今後は仮設住宅の建築を進めたい」と話してくれました。

 佐藤団長は「消防団には様々な職業に精通した団員が大勢いる。お役に立つ場面もあると思う。今後は心のケアが大切になる時期だが、仙北市らしい支援として花苗の提供なども行いたい」など、多様な支援の可能性にも触れた懇談となりました。

2011年5月7日土曜日

女川町から一時避難の皆さん


 昨日、宮城県女川町から110人の避難者を受入れしました。2週間ほど前から宮城県、秋田県、そして仙北市で調整を進めていました。今回の受入れは半年間を目処としていて、これまで秋田県では経験のない期間となります。

 受入れが決まる際、女川の安住町長と電話でお話しをしました。安住町長には「大切な町民の皆さんをお預かりするのですから、責任を持って毎日の生活支援を行います」とお話しをさせてもらいました。また安住町長が提案する2階建て仮設住宅についてお聞きすると、「法令など難しい面もありますが、実現したいと思います」とのこと。土地が狭い箇所での住宅確保策として、有効なアイディアだと思います。

 さて、避難者の皆さんにすれば、これからの半年間は、市内4箇所のホテルが自宅です。女川町の要望で同じ地域の町民は、同じホテルに滞在させて欲しいとのこと。コミュニティを考えると大切な要望です。何とかお応えできたと思います。随行してきた女川町職員の小松さんによると、まだ町内には1200人ぐらいの方々が避難所生活を続けているそうです。大変さに胸が詰まります。

 皆さんには、これからの人生の再スタートに向けて、ゆっくりと体も心も休めて欲しいと思います。

2011年5月3日火曜日

少しでも元気になってくれたら


 昨日は、仙北市内に避難している皆さんを迎え、角館の桜を見る会が開催されました。主催したのは市企業連絡協議会(安藤大輔会長)で、自分も参加をさせてもらいました。

 同協議会は、昨年設立された新しい団体です。50以上の個人・企業が参加していて、ネットワークを広げています。若手経営者が多く、発想も行動も斬新でとにかくスピード感があります。

 自分は始まりのあいさつで「乾杯はやめましょう。いただきますで会を開きましょう」とお話をさせていただきました。ところで、参加してくれた避難者の皆さんに楽しんでもらおうと、協議会メンバーがお弁当やジュース・ビール・お酒を調達してくれていました。福島からの方々が多く、それを気遣ってわざわざ福島の銘酒「会津中将」も用意。さすがの心遣いです。ほんのり頬が桜色に染まったおじいちゃん、おばあちゃんは「久しぶりに楽しい」と言ってくれて…。その言葉を聞いたこちらも元気になれました。

 

2011年4月22日金曜日

節電


 総務省への要望活動で上京。東北新幹線が復旧していないので飛行機で移動です。総務省では財政局などで災害対応の状況をお話してきました。

 写真は東京メトロのエスカレーターが、節電のために停止している写真。JR線では動いているところもありましたが、駅構内はかなり暗い感じです。ご飯で夕方に街へ出た時も、やはり節電です。昨日のニュースでは、大企業が休暇を電力需要の増える季節にシフトするんだそうです。

 内幸町にある東京電力本社周辺は、たくさんの警察車両や警察官、各テレビ局の放送車がいて、かなり物々しい雰囲気。大変な事態になっていることが伝わってきます。

2011年4月21日木曜日

魁新聞朝刊の笑顔は…。


 今朝の魁新聞は、お母さん達の笑顔が光ってました。「ニッポンの笑顔」秋田から!。秋田県の“元気出し行こう”広告ですが、お母さん達は仙北市西木町を中心とした「グリーン・ツーリズム西木研究会」の面々です。本当に皆さん良い笑顔!!

 秋田県もそうですし、実は仙北市も同様の状況があって、それは被災地を最大応援する宣言をしている自治体自身、経済の冷え込みが急速に深刻化している状況にあります。仙北市はプレミアム付き商品券の内外発行、宿泊クーポン券、各種の企業向け融資の利子補給、農作物の団地化政策などなど、27日開催の臨時議会でご議論をいただく事にしています。これは第1次補正と位置付けています。支援を継続するために、市内の経済・産業面の体力を確保する政策です。

 第2次の政策メニュー作成にも既に着手しています。皆さん、元気出して行きましょう。

2011年4月17日日曜日

角南の行動力


 1972年に開催された第2回全国高校選抜バレーボール大会(女子)で、全国制覇を成し遂げたのが高田高校(岩手県陸前高田市)、準優勝は角館南高校(秋田県仙北市)でした。

 観光客の出が心配で、今日も武家屋敷通りを走っていたら、写真のグループにお会いして…。「何の募金活動ですか」と訪ねたら、「高田高校を応援する募金活動をしています」との返事。皆さんは角館南高校の生徒会の方々でした。お話しを聞いたら、先述の歴史を教えてくれました。高田高校は津波で大きな被害があったところ。皆さんの気持ちが痛いほど分かります。

 角館南高校の行動力はすごくて、4月23日(土)、「天地人チャリティコンサート」まで開催することを決定しています。チラシには「角南の総力を挙げて高田高校を支援します」の決意文がありました。ところで天地人は大間ジローさん(ドラムス・小坂町)、黒沢博幸さん(津軽三味線・盛岡市)、大沢しのぶさん(大館曲げわっぱ太鼓・大館市)の異色ユニット。主催が高校PTAで、一般市民が入場できるかどうかと言う、一番大切な質問を忘れて別れてしまいました。どうなんでしょう。

広がれ!支援の輪


 精巧堂印刷所(大仙市・越中奉社長)などが主催する東日本大震災復興支援チャリティイベントが開催されています。場所は仙北市田沢湖の神代体育館。午後4時ぐらいまではイベントを行うそうなので、今から駆けつけても間に合います。

 日頃磨き上げた芸事を活用し、非常事態に支え合う支援の輪を広げようと、地元仙北市からはあんどう兄弟(太鼓)、田沢湖龍神太鼓(太鼓)、菊池正平(舞踊)、DJタケムラ(マジッシャン)、また秋田市や花巻市からも参加をいただく豪華さです。

 ところで、会場内では精巧堂の越中社長とバッタリ。「今回のイベントでは、本当に仙北市からお世話になりました」とのごあいさつ。「とんでもありません。お世話になっているのはこちらです」。

 会場の外に設営された神代カレーや横手焼きそば、納豆汁などご当地グルメを提供するテントコーナーも賑わってました。被災地を応援したい気持ちがビシバシ伝わってくるチャリティイベントでした。

2011年4月11日月曜日

岩手県山田町内に連絡所


 被災地の状況をリアルタイムで把握し、必要な救援体制を即時的に整えるため、9日、仙北市支援本部の現地連絡所を開設しました。

 秋田岩手横軸連携で災害協定を結んでいる岩手県宮古市、さらに周辺の山田町・大槌町を基本的なサポートエリアと考え、3市町の中間点にある民宿四十八坂荘(山田町内)にご快諾をいただいて…。現在2名の支援本部員(建設部所属職員)が常駐しています。

 各避難所の炊き出しは自衛隊が行ってくれていることもあり、今後の炊き出しボランティアは、避難所以外で行われることが多くなりそうです。と言うのも、自宅は何とか残ったけれど、停電・断水・物資不足などで生活できない方々がたくさんいます。そんな皆さんのサポートが課題になっている現状です。そしてこの現状は毎日変化します。だからスピードが勝負です。
 連絡所が皆さんの役に立ってもらえれば何よりです。

2011年4月8日金曜日

昨夜の余震で停電中


 昨夜の11時46分に発生した地震は、宮城県沖を震源としたM7.4の大地震でした。現在も北東北を中心に広域停電となっています。

 発生直後から田沢湖庁舎に詰めて、情報収集をしていました。11日の巨大地震の際に行った地域見守り(独り暮らし・高齢世帯など)を朝から実施しています。人的な被害は今のところ報告ありません。一方、公共施設関係では幾つかを確認しています。国道105号の大覚野峠(北秋田市側)で、200メートルにわたる雪崩が発生していて、現在は通行止めです。また田沢湖高原地区では、配水池の水位が下がり、断水が発生しています。原因を確認中です(市内の各地で、停電による断水が発生していますが、これとは違うような感触です)。
 東北電力の判断で、病院の立地する電送系列を優先通電しています。そんな理由で角館庁舎、田沢湖庁舎は既に電気は復旧しています。

【現状】
※市立病院等では外来対応ができない状況(薬は出せます)。
※西明寺診療所は午前、桧木内診療所は午後に受診可。
※神代診療所は薬を出しています。
※給水車が各地区で活動しています。
※幼稚園・保育園・小学校・中学校はお休みです。
※小学校の入学式は延期です。
※市内3庁舎で携帯電話の充電サービスをしています。
※神代の船山アンバスは通行止め。

2011年4月4日月曜日

塩釜からの写真


 塩釜へ救援活動に行っている市役所の職員から写真付きのメール。朝から何通かやり取りをしていますが、現地では被災者の方々から加湿器を要望されたそうで、現在、庁舎内の連絡網で不要となっている加湿器を集めています。

 さて写真は、今夜開催された自衛隊音楽隊による演奏会の風景。被災者の慰問活動もあちらこちらで行われるようになってきました。いぜん多くの皆さんが行方不明の状況ですが、命を繋げた皆さんは、何かに寄りかかりながらも、生きることへの歩みを進めています。音楽やボランティアの笑顔も、その力を与えてくれるものなのですね。

2011年4月2日土曜日

温かいウドン1000食


 遊々楽々3トピア会議メンバーを中心に、被災地でのウドンの炊き出し隊(実施日は先月30日)。場所は岩手県大槌町の県立大槌高校。仙北市を朝の5時30分に出発し、正午から午後2時まで750食のウドンを提供。さらに「250食のウドンとだし」は、避難所に差し入れしてきたとか。ホカホカのウドン1000食は、避難所の皆さんの気持ちまで温かくしてくれて、大人気だったそうです。

 仙北市内でおソバの栽培などを手がけている同会議。今回はウドンをひっさげての炊き出しボランティアです。大槌高校には約1000名の皆さんが避難していて、その一人ひとりにご馳走したいと、大量1000食を準備しての出発でした。

 参加した皆さんは「被災地の悲惨な光景は想像を絶するもの。今回で終わることなく、自分たちでできることを今後も続けたい」と話しています。

2011年3月30日水曜日

現地と仙北市民の架け橋に


 本日午前2時、支援本部職員がリクエストをいただいた塩200㎏を積み、岩手県大槌町へ出発。さきほど無事送り届けた旨の連絡を受けました。また朝には、仙北市内のソバ生産組合の皆さんが大槌高校での炊き出しに出発しました。

 ところで塩を何に使うのかなと思っていたら、炊き出しの〝おむすび〟なんだそうです。40ヶ所ぐらいに分散している避難所に、一袋25㎏入りでは大き過ぎるのではと心配でしたが、現地ボランティアが小分けしてくれるとか。

 そのボランティアの活動も、現地では被害が甚大な海岸部以外、例えば同じ町内の内陸部の住民が大きな役割を果たしています。季節的に今後は農作業が忙しくなり、比例してボランティアの手数が少なくなることが心配されています。

 そこで仙北市として、現地に駐在所を開設できないかを考えています。現地の災害対策本部と連携し、ご迷惑をかけることなく、仙北市民などが現地で行う炊き出しのコーディネイト、物資供給などの円滑化が期待できます。被災地との架け橋です。

※写真は神代カレーの炊き出し風景。どこでも人気です。

2011年3月26日土曜日

温かな食べ物のパワー


 神代カレーの炊き出しに喜ぶ山田町の小学生。みんな良い顔でカレーを食べてくれてます(写真提供は仙北市災害支援本部)。

 「仙北市は市民が行う炊き出し等活動に要する経費を支援します」の制度は、前の書き込みでも報告しました。これまで利用いただいた皆さんは(社)神代活性化協議会・田沢湖水深委員会など。田沢湖水深委員会は17日と23日に大船渡で給水や物資供給を行っています。

 ところで昨日は、避難場所となっている山田高校を会場に、大仙仙北地区の左官業組合の皆さんが焼きそばの炊き出しをしています。あの避難所には500人ぐらいの方々が生活していると思いますが、皆さんの喜んだ顔が思い浮かびます。やっぱり温かな食べ物が元気の活力です。

物資供給隊で三陸へ


 3月25日現在、仙北市に避難されている方々は44世帯115人。福島原発への対応が思うように進まない中、避難者が増えているものと推測します。

 昨日はカップラーメン4000食、米、醤油、それに様々な皆さんから提供いただいた野菜、豆腐などを持参して第3回目の大槌町、山田町への物資供給。横手でカップラーメンを積み込んだ都合上、初めて秋田自動車道で北上~遠野経由で釜石に入りました。ひどい状況です。何キロも手前から自衛隊の野営テントがありました。

 湾の地形が原因なのか、巨大津波に襲われた大槌町は目を覆いたくなる惨状。高台にある中央公民館が災害本部になっていますが、ここで東梅副町長に最大支援を約束。町長が亡くなって副町長の心労はいかばかりか…。

 続いて山田町へ移動、ここでも物資荷下ろし。沼崎喜一町長、佐藤勝一副町長と面談。沼崎町長からは「せっかく避難者の受け入れ準備をいただきましたが、この状況下なので動きが余りないようです。済みません」との言葉。この戦時的事態の中で、町民だけでなく仙北市も思いやる配慮を持った方でした。

 写真は、山田町役場1階に開設されていた安否伝言板。見入る皆さんの背中にカメラを向けるのがやっと。

※仙北市では、市民団体等が被災地での炊き出し活動を行う際の支援制度をつくりました。市のホームページを参照ください。詳しくは支援本部(43-1111)まで。

2011年3月23日水曜日

岩手県と市町村の取り組み


 今回の震災で、岩手県及び内陸部の市町村の取り組みを紹介します。岩手県の政策地域部と保健福祉部では、「内陸部(岩手県)への宿泊施設等への一時避難」について情報発信を行っています。

 内容は、岩手県職員及び被害の比較的少なかった内陸部市町村職員が、太平洋沿岸市町村など現地で、地元市町村と協働(現地に行政機能が消滅している場合は県及び内陸市町村の職員)で、一時避難先の照会から送迎車両の確保などの活動を展開しています。主なる避難先は岩手県内陸部のホテル・旅館、公共施設等です。一時避難の期間を2~3ヶ月としていて、延長も含め滞在費は無料です。その間で、仮設住宅、公営住宅、民間アパートの確保を進める連携システムです。

 最近の秋田県内マスコミ報道から、民間のホテル・旅館業の方々が「待っていても被災者は来ない。こちらから迎えに行く」みたいな方向性を感じました。もちろん避難者を思う気持ちからの発言で、ありがたいことだと思います。ただ現状は秋田県や秋田県内市町村が、隣県の責任において、若しくは助けたい一心であっても、(前述した例で言えば)、岩手県の救援システムに、こちらから割り込むことには疑問を感じます。地元にすれば混乱の元になりかねません。だから両県の連携が不可欠なのです。多数の方々が避難所でギリギリの生活を続けています。早くその環境を改善したいと思っている人は大勢います。かと言って県内のホテル・旅館業を営む方々が、個別に被災地に迎えのバスを走らせれば、どんな現象が起こるのか…。それが避難した方々や現地の思いに本当に報いる行動なのか…。

 支援本部(仙北市)では、いつ何時、各県・市町村、または地域・個人から避難要請があっても、瞬時の対応ができるよう、万全の準備体制は当分の間維持します。当然、送迎用のバスも用意できています。

 まず避難者の皆さんの環境を改善すること、そのために官民・県境を超えた体制づくりを進めること、その後は、避難者の今後の人生をどうサポートできるかです。仙北市は、そのための相談窓口の開設を急いでいます。生死を背負って避難して来る皆さんです。お迎えする側にも、生涯にわたって見守る政策の提供が不可欠と思っています。

2011年3月22日火曜日

被災地の気持ち


 ここ数日、職員の災害地への物資救援活動が常態化しています。特に甚大な被害に見舞われた三陸沿岸部へ向け、毎日のように出発しています。

 何度も行けば、先方の方々の気持ちが深く理解できます。避難所にいる皆さんは、体が動けば被災者でありながら救援者になり、地域内で不明の方の捜査に参加し、炊き出しを行い、高齢避難者の話し相手になり…。家族や友人が未だ発見できていない、そんな皆さんが本当に大勢います。仙北市を始め、被害が少なかった市町村や各県では、ホテル・旅館を準備し、まってのそんな方々が、体をゆっくりと休めたいと思うようになるには、たぶんまだまだ時間が必要だと思います。

 秋田県は災害が少なかったことで、避難者を迎え入れる準備を進めています。仙北市も同様です。が、罹災者にどのような支援ができるのか、と言うよりも、罹災者が何を欲しているのかが大事です。災害をこちらの尺度で理解してはいけません。間違われないことです。

 仙北市への避難者は21日現在で26世帯、70人となっています。市民の皆さんのご協力に感謝します。
写真は19日~20日に市で救援物資を運んだ山田町・大槌町の町の姿。廃墟です。