2011年5月30日月曜日

たざわこ清眺苑が竣工


 社会福祉法人の県南ふくし会が運営する「特別養護老人ホームたざわこ清眺苑」の移転新築をお祝いする会が、5月29日に開催されました。

 清眺苑は昭和55年から合併前の田沢湖町が設置した福祉施設です。仙北市となった後、県南ふくし会が平成21年から運営していました。以前の場所は田沢湖高原ですが、移転で田沢湖畔へ移り、まるでリゾートホテルのような趣です。

 自分はごあいさつで「福祉の専門家が運営することで、より充実したサービスの提供が可能となりました。利用者もそのご家族も、また地域にとっても有り難いリニューアルです。県立自然公園内に建つ福祉施設は他にあるでしょうか」とお話しさせていただきました。

 祝賀会で石川勝三理事長(写真)が、「実は公園の中に建てることの難しさを認識していませんでした。職員や県の皆さんには、本当にご難儀をおかけしました」と話し、参加の皆さんからは「無欲の勝利」と拍手も起こって終始和やか。大仙市の栗林市長からも「終の棲家にお願いしたい」とラブコール。う~む、これは倍率が高いかな。

お幸せに


 5月28日、結婚ご披露宴にご案内をいただきました。お二人は佐藤励さんと藤村恵美さん。一緒にいるだけで周囲を幸せにしてくれる、そんなムードのあるカップルです。

 励さんは物づくりに打ち込む職人さん。角館きがたと言えばお祭りの人形作りでピーンとくる方も多いのでは…。中学生の頃からお父さん(正美さん)の後を継ごうと思っていたそうです。美大を出ていて、彫刻家としても注目されています。恵美さんは秋田市内で看護士さんをしていて、日本舞踊では名取りです。パーティの中で舞をご披露いただきましたが、素晴らしく良かった。

 本当に羨ましいです。お二人の才能、出会い…。この後もクリエイティブな毎日をお過ごしください。

2011年5月27日金曜日

敵は「ま、いっか。」


 久しぶりにハードブックを買いました。浅田次郎さんの「ま、いっか。」です。何とも投げやりな言葉の代名詞が「ま、いっか。」ですが、実はその言葉を口にする(心中で叫ぶ)までの経緯があるはずで、それが実に重要だということ、この本を読んで知りました。

 自分は日々の仕事に戦闘態勢で臨むことを旨としてきました(良いか悪いかは別にしてください)。でも、どうも最近、どこかで「ま、いっか。」と呟いてしまいそうになってハッとします。国内のいろんな情勢が悪化する中、思い描く仙北市にたどり着けていないことを焦ったり、国や県が悪いなんて知ったかぶりになりそうです。そんな自分の〝浅さ〟も嘆かずにはいられません。

 でもでも、それでもモガクことが自分の仕事だと思っています。多少気持ちが下がり気味の中、「辛いことがいっぱい貯まると、幸せに交換できるよ」というメールをいただきました。ありがとうございます。

2011年5月26日木曜日

45パーセントの皆さんが参加


 昨日のチャレンジデーは、市民の皆さん、観光客の皆さん、そして関係団体の皆さんのご尽力で、昨夜の9時30分現在では、45パーセントの参加率という、素晴らしい成果になっています。

 写真は、参加状況の集計を進める教育委員会のスタッフ面々。当初の目的だった岡山県赤磐市の昨年実績37パーセントを何とか超えたい!。そんな情熱が大きな輪になり、10パーセント近く上乗せできたことになります。気になる今年の赤磐市の参加率ですが、インターネットで見てもよく分かりません。どうなったかなあ。でもでも、結果はどうあれ、赤磐市の皆さんには背中を押してもらえて、本当に感謝感謝です。

 そして長崎宏子さん、素敵な方でした。またお出でくださいね。

2011年5月25日水曜日

長崎宏子さんを迎えて


 今日はチャレンジデーです。午後9時まで15分間運動(何でもOKです)をしてください。その参加率を岡山県赤磐市と競争しています。

 もちろん今日だけでなく、運動をするキッカケになればと参加しています。
 ところで朝9時のメイン会場(落合運動公園)には、グラウンドゴルフや各種ニュースポーツ参加者が集まってくれて、開会式のセレモニーを開催することができました。ここに長崎宏子さんをお迎えしました。長崎さんはチャレンジデー大使なんだそうです。とてもお綺麗な方です。夕方には西木町のクリオンプールで水泳指導もしてくれるそうです。

 さあ、まだ終了まで7時間以上あります。天気も良いのでウォーキングなどいかがでしょう。参加した方は記録表を忘れずにお近くのセンターへお届けください。郵便ポストにそのまま投函してもOKです。

2011年5月24日火曜日

新会長に齋藤善一氏が


 午後から秋田県観光連盟理事会・総会に出席。理事会で渡邉靖彦会長から辞任の意向が伝えられました。「現代の観光を切り開く新しい人材が必要。私は県バス協会の会長で観光連盟の会長を拝命しましたが、そのバス協会の会長も退くことにしました。後任には羽後交通の齋藤善一さんを推薦したいと考えています」。

 これを受け、理事会後の総会で通常案件を可決した後、人事案件でいったん総会を休会。再度理事会を開き、協議の結果、満場一致で齋藤善一氏を新会長に選任しました。

 齋藤新会長は着任のあいさつ(写真)で、「本当に厳しい局面の中で新会長をお受けすることになりました。秋田県は元気だぞと、大きな声を出して行きたいと思います」と決意の言葉をご披露いただきました。

クニマスの里帰りに寄付金


 JA秋田おばこの藤村組合長から、同組合の金融商品「クニマス定期預金」収益金を寄付いただきました。
藤村組合長は、「大震災でクニマスの里帰り活動が停滞するかも知れませんが、里帰りは仙北市だけではなく、秋田県民の夢です。取り組みに役立ててください」とあいさつくださいました。

 自分は「クニマスは70年ぶりに山梨県西湖で生存が確認されたことなどの経緯を考えると、いわば復興のシンボルです。大震災の影響はありますが、だからこそ力強く里帰りを進めたいと思います」とお話しさせていただきました。

 皆さん、ありがとうございました。

赤磐市長とエール交換


 何をやっているのか、なかなか分からない写真ですみません。モバイルコンピュータの画面にいるのは、岡山県赤磐市の井上市長です。手前の頭は自分、石山副市長、熊谷教育長です。

 仙北市は、初めてチャレンジデー(15分間体を動かした人口を自治体同志で競い合うスポーツイベント)に挑戦します。大震災の関係で今回は対戦という形態はとりませんが、仙北市の相手が赤磐市で、「お互いに頑張りましょう」とインターネット上でエール交換をしました。

 昨年から参加した赤磐市は先輩です。胸を借りて挑む思いです。仙北市の目標参加率は、昨年赤磐市が打ち立てた37パーセント。どうか仙北市の皆さん、ご参加をお願いします。

農政研究会での講話


 強い農業とは何か。国の予算が足りなくても、安い輸入品が入ってこようとも、本当の意味での強い農業というのは、どんな農業なのか。現状の農政方針は規模拡大してコストダウンを標榜するだけ。海外の農産物と同じ土俵で闘うことが日本農業の正しい方向性とは思えませんが…。

 TPPに真っ向から反対する鈴木宣弘さん(農林水産省・東京大学教授)を招き開催された県農政研究会。鈴木さんの言葉は強烈で怒りに満ちていました。「大震災後、TPP議論は少し静かになった感がありますが、アメリカの要人でさえ“今の日本にTPPを強要できない”と言っていることから分かるとおり、TPPは日本社会、日本農業に打撃を与える前提があることは明白」と主張。さらに「ナチュラル、オーガニック、アニマル・ウェルフェア、バイオダイバーシティ、景観等への取り組みを徹底すれば、価格は割高でも消費者は納得して買ってくれることを、スイスなどでは既に実証しています。“この農産物を買うことで、農家の皆さんの生活が支えられ、それによって自分たちの生活が支えられる”という認識を広めることが大切です」とも話していました。

 農業に携わる側と、それを買う側の意識の持ちよう、この辺りに変革のパワーが必要な気がします。

2011年5月21日土曜日

西明寺中学校に新野球場


 地域の長年の夢だった西明寺中学校の新野球場が落成しました。今日は記念の招待試合が予定されていましが、あいにくの雨です。残念だなあ。そこで中学校の体育館でセレモニーだけを実施しました。写真は集まってくれた選手の皆さんです。

 新野球場は合併前からの懸案でした。これまでの検討期間も含め、完成までに6年の歳月を要しています。両翼91メートル、センター110メートルの規模で、中学生の野球大会はもちろん、学校開放の推進で市内外の利活用も期待しています。

 雨の中、お出でをいただいた横手清陵学院の選手の皆さんには、本当に申し訳ない天気です。用地を提供いただいた方々、検討委員会や野球関係の皆さん、そして試技会など、たくさんの応援やご理解があって実現した新野球場です。愛される施設になって欲しいです。明日は晴れたらいいなあ。

2011年5月20日金曜日

東北市長会


 仙台市内で第158回東北市長会(会長は奥山恵美子仙台市長。ちなみに奥山市長は秋田市出身です)。各県の市長会が取りまとめた震災関係の特別決議を可決して閉会。どの決議も国に対して強力な復興支援を要望するものです。

 休憩時間に塩竃の佐藤市長が声をかけてくれました。「仙北市がいち早く届けてくれた下着、生理用品など、本当に助かりました」。すごい。救援物資がどこから届いたものなのかをご存じです。南相馬の桜井市長も元気な様子。「少し痩せたんじゃないですか?」と尋ねると、「えっ?そんな風に見える」といつもの笑顔。

 皆さん本当に難儀をしていると思うのですが、元気です。ところで決議は、全国市長会に要望したり、政府に要望したりする予定になっていますが、「それでいいのかなあ」と思ってしまうわけです。全国市長会の森会長(長岡市長)が、「政局がらみのこともあり、復興会議で議論されている内容をマスコミは余り書かないけれど、実効性の高い政策が少しずつ形を整えてきた」と言っていたので、少し安心をしました。でも何だかシックリこない。たぶん「国に要望する」「国の財源確保」など声高に要望すればするほど、東北のアイディンテティを失ってしまいそうな、そんな気になりそうです。

2011年5月19日木曜日

ジェラルド・カーチス先生の言葉


 朝刊(19日)に、コロンビア大学のジェラルド・カーチス先生の言葉が載っていました。昨日、都内の講演会で発言した中に、「日本は大震災で混迷しているが、社会がしっかりしているから政治が貧困でも何とかなっている」みたいな内容です。

 “同じようなこと前に聞いたなあ”、あれこれ考えていて思い出しました。先日の「国のかたちとコミュニティを考える市長の会」で、名和田法政大学教授から聞いたお話しと一致しています。名和田教授は、「今回の震災の直後にドイツ出張があって、外から大混乱の日本を傍観していた。ドイツ人をはじめ、欧米人が一様に驚嘆していたことは、日本人の我慢強さと公共意識の高さだった。ハッキリ言うと、政治が機能を果たさなくても(暴動や略奪が起こらないのは)、地域コミュニティの機能があるからだ」と言っています。

 国民の意識に助けられている政治(若しくは政治家)の構図が日本だと。情けない限りです。

自治体病院開設者協議会


 朝に滋賀県東近江市をたち、大急ぎで東京へ戻ってきました。都内で開催される全国自治体病院開設者協議会に出席するためです。自治体病院というのは市町村が経営する病院のこと。開設者は市町村長です。ちなみに仙北市は、この春から病院事業管理者を置いています。それまでは病院事業管理者も市長でした。

 ここでも東日本大震災への対応として、決議が行われました。概要は以下の通りです。

 「現在、全国の自治体病院など医療機関が被災者支援に全力で取り組んでいるが、被災地域に必要な医療が十分に確保されている状況ではない。協議会が一丸となって取り組みを強化することを決意し、また国や関係機関には諸施策が適切に講じられるよう強く要望する」。

 明日はまた移動して、仙台で東北市長会に出席します。政治の力が試されているような気がします。

弘誓寺本堂で交流会


 伝建群協議会の初日日程(総会等)が終わり、夕方から交流会が開催されました。場所は東近江市の五個荘。この地区は近江商人の豪邸と農家が混在する歴史的にも重要な場所です。地区中央には真言宗大谷派の弘誓寺(ぐぜいじ)があり、交流会はこの寺の本堂で行われました。

 本堂は国の重要文化財です。参加者の誰もが「えっ?ここでお酒なんか飲んじゃって良いの?」の疑問。そしたら文化庁の皆さん曰く。「伝統的建造物は、生活の中で守り磨かれるべきもの。お寺は仏事はもちろん、本来的には人々が集まり、語り、学び合う場所。交流会の主旨に合致する」と、何とも粋な解釈です。

 開催にあたっては市をはじめ、五個荘の保存会の皆さんが完全バックアップでした。写真の灯籠は9月に行われるお祭りを再現してくれたもの。本当に清々しい交流会でした。

第33回全国伝建群協議会総会


 正式に表記すれば、伝建群というのは「伝統的建造物群」のこと。日本の建築文化を次代にきっちり受け渡す活動を行うのが協議会です。昭和51年、旧角館町の武家町が国の指定となり、その3年後に第1回の協議会が開催されています。当時は13市町村の参加でした。

 昨日(18日)、滋賀県の東近江市で開催された総会には全国から77市町村が集いました。この席上、参加市町村の総意で特別決議が採択されました。概要は以下の通りです。

 「この度の東日本大震災において、7市町(函館市・仙北市・金ヶ崎町・下郷町・桜川市・川越市・香取市)が被害を受けた。我々協議会は、この市町の復興を支援し、国民共有の財産である文化遺産を後世にに継承することを決議し、国に対しても積極的な保存対策に資する政策の展開を求める」

 

 

 

意見交換会で


 写真は、17日午後に行った女川から避難の皆さんとの意見交換会。皆さんとのお話で故郷を思う気持ちの強さや、女川で避難生活を続ける方々への配慮を感じました。

 集まってくれたのは、田沢湖高原の4つのホテルに避難をしている約120人の代表者、また意見交換に参加してみたいという人は自由参加です。

避難者代表の鈴木さんが、「田沢湖高原の山にかかる霧を見て、女川の海の朝靄を思い出します。沢の水音を聞いて潮騒を思い出します。山と海は違いますが、自然が故郷を思い出させてくれます。このような素晴らしい環境の中に私たちを受け入れてもらって、本当に感謝をしています」と、お話しをしていました。

 その後、避難生活で不便を感じていることやご要望などをお聞きしました。山菜とりには皆さんが興味を持ているようで、「迷ったりしないよう、地元の方の水先案内が欲しい」とのこと。また「洗濯物を干すようなスペースの確保」や「公民館事業のメニューを知らせて欲しい」とか、なるほどと思うこおの多い意見交換会でした。お茶のみ会のような雰囲気で、定期的な開催の必要性を感じます。

2011年5月17日火曜日

がんばれ!女川っこ


 15日に行われた生保内小学校の運動会で、一時避難している女川の子ども達が大奮闘しました。また子ども達の応援に父兄をはじめ30人以上の皆さんが、大漁旗を振って声援しました。

 100人以上の一時避難者は、田沢湖高原の4つのホテルに滞在しています。この中で小学生は5人、中学生が4人、地元の小中学校に在校しています。子ども達は友達もできるなど、少しずつでしが落ち着きを取り戻しているようです。また先日は地元の方々が餅つきをしてくれたりで、大人の皆さんの交流も始まりました。地区小学校の運動会への参加などで、ますます仙北市民との交流が活発化してくれればと思っています。

2011年5月16日月曜日

東北暫定行政機構の提案


 今号の広報せんぼくに表題の提案をしました。どんな流れ方か分かりませんが(広報も市のホームページに乗っていますが)、読みたいというお問い合わせがありましたので、ブログでにアップします。

「東北暫定行政機構を提案します」

 大震災後、国や県の復興に向けた動き方を見ていて不安を感じます。私は現状の行政システムを変える、もっとハッキリいうと、県という単位を一時的に見直さなければ、この国難に対応できないのではないかと考えています。例えば岩手県は罹災者を県外に出さない、宮城県は県外避難を容認、福島県は津波被害以上に原発事故対策が後手となり、未だ混乱の中にあるなどバラバラです。一方でいち早く受入れ準備を整えた他県の情報が、ほとんど被災地には届いていません。各県で情報の集約力が未熟だったために、その後の食糧や物資の偏在、ボランティアが殺到する町もあれば、人手不足で運営が困難になっている避難所もあるなど、避難生活の質的な不均衡が起きてしまいました。

 国の復興計画が話題になっています。が、太平洋沿岸部の漁業従事者の高齢化は深刻です。新しい町をつくる前提に、新たな担い手の確保が不可欠です。また仙台に支店をおく企業の撤退対策、ガレキの撤去と処理場の広域確保、食糧団地の育成、工業の分散化、新エネルギー対策、観光の周遊化などなど、一県の枠を越えた課題が山積する中、東京(霞ヶ関)が東北の価値や役割を理解し、本気で明日の東北を描こうとしているのか、個人的には甚だ疑問です。

 私は、東北が自らの手でビジョンを策定し実践する組織「東北暫定行政機構(仮称)」の設置を提案します。東北六県は、緩やかに一体化した行政機構(メンバーは六県知事と国務大臣、市町村長代表者など)を立ち上げるべきです。国はもちろん地方も財源を持ち寄り、各県・市町村議会代表者で復興事業の適否を協議しながら、県の枠を越えて復興事業を押し進めるのです。民間企業にも大いにご協力をいただきたいと思います。

2011年5月15日日曜日

山田町の沼崎町長と


 5月15日、午前の山本市長(宮古市)に続き、午後からは沼崎町長(山田町)とお会いすることができました。また山田町消防団の菊地民雄団長、広域消防山田消防署の米澤秀樹消防指令長にも同席をいただきました。

 沼崎町長は「昨日現在で安否不明者は299人。この全てが亡くなっているとは言い切れない。中には避難所を巡ったり、または県外の親類宅に身を寄せたり、そういう町民がいる可能性もある。町の消防団に、これ以上の遺体発見をお願いすることはできない。仮設住宅の建設も進んでいる。もうすぐ入居できる住宅もある。人手の面では専門性の高い行政職員の派遣を更にお願いしたい」と話していました。菊地消防団長も「9人の消防団員が亡くなっている。地震発生直後から行方不明者を探してきて、やれることは本当に全部やった思いだ」と胸の内をあかしてくれました。

 仙北市の佐藤団長は、「ご要望があれば遠慮なく伝えて欲しい。同じ消防団として、これまでの活動には頭が下がる思いだ。仮設住宅に入居する皆さんに、花をプレゼントする用意もある。心のケアにも貢献できる」と語りました。

宮古市の山本市長と


 仙北市消防団(佐藤生治団長)が災害復興にどんな役割を果たせるのか、直接被災地の皆さんから情報をいただこうと岩手県宮古市・山田町を訪問しました。

 仙北市消防団からは佐藤団長生治団長、佐々木久悦副団長、田口忠正副団長、鈴木重蔵副団長が、また市からも関係職員が同行。お忙しい中、宮古市では山本正徳市長とお話しをすることができました。山本市長は「仙北市には災害発生直後から支援をいただき、大変感謝をしている。宮古市では3月11日当日、沖に出ていて被害を逃れた漁船を中心に、既に市場も動き出している。今後は仮設住宅の建築を進めたい」と話してくれました。

 佐藤団長は「消防団には様々な職業に精通した団員が大勢いる。お役に立つ場面もあると思う。今後は心のケアが大切になる時期だが、仙北市らしい支援として花苗の提供なども行いたい」など、多様な支援の可能性にも触れた懇談となりました。

2011年5月14日土曜日

一番に重要なライフライン


 仙北市ボランティア連絡協議会の総会に参加。高橋達会長が「東日本大震災直後では、市民から提供いただいた物資の整理に、延べ200人以上の会員が汗を流して作業をしてくれた。心から感謝を申し上げる」とあいさつがありました。ありがたかったのは自分の方で、ボラ協の応援がなければ、被災地にリアルタイムで支援ができなかったと思います。

 さて総会後に行われた、菅原雄一郎さん(県ボランティア協議会長)のお話が印象深かったので、ほんの少し触れます。菅原さんは阪神淡路、中越、日本海中部、そして今回の東日本大震災で現地活動をしてきました。その経験から被災者すべてに必要なこと、部分的でよいことを分けて実施する「標準リスト・個別リストづくり」の考え方や、フェイズ0(災害発生直後で自分の命を守るレベル)からフェイズ3(3ヶ月以降で自治体主体の取り組みレベル)までの行動指針などを、分かりやすく教えてくれました。

 自分が一番心に残った言葉は、「テレビや新聞ではライフラインが電気とか水道とか、そんな話になっている。もちろん間違いではないが、本当のライフラインは人、人手なんだ」と。これも納得です。

韓国文化院にて


 写真の中央は韓国文化院(大使館の中にあるというか、大使館が文化院の中にあるというか)の姜基洪院長、その左隣が河正雄さん、さらに左隣が关根信夫さんです。先日の東京出張の際、大使館と文化院が主催した「河正雄コレクション故郷展」を鑑賞した後、撮影をいただきました。

 河さんの故郷展は、今年の2月7日から3月27日まで平福記念美術館で開催され大好評でした。今回の文化院展示はその半数程度しか展示していないそうですから、平福美術館の内容がどれだけ充実していたかがわかります。

 一番左側にいる关根信夫さんは、前回の平福祈念美術館展示でも、また今回の文化院展示でも正面に設置していた「散華」の制作者。芸術家にありがちな気難しさを微塵も感じさせないお人柄でした。

 ところで姜基洪院長が、この8月に秋田にお出でになるとのこと(秋田市内で韓国歌謡祭コンテストがあるそうです)。仙北市にお出でいただくお話もご快諾をいただきました。

コミュニティを考える市長の会②


 名和田教授はさらに、「本来は市町村がコミュニティだったはず。アメリカのミルトン・コトラー(公民権運動家)は、コミュニティこそ地方政府で、市町村合併は都市中心部に税金と人材が流れ込む仕掛けに過ぎないと言っていた。それでは市町村の潜在能力は発揮できない。だからこそ、もう一度コミュニティの再生が必要なのだ」としました。

 後半で実践市長の報告として、大阪府の池田市長が「4期目になってコミュニティ再生に取り組んでいる。主体的に自治を行うために立ち上がった組織には、総額では、市の年間予算規模の1パーセントをマックスに財源を交付することにした。今のところは1団体700万から1000万円程度になる」と、話していました。自分は、名和田教授に「その1団体あたりの金額の根拠の理論けは何によるものか」とお聞きしましたが、「地域住民の過半数が納得できる使い方を、検証することの繰り返し」が最も理論的とのこと。これは難しい作業です。後で聞くと、他の市長は経験則とか、必要量の平均とか、いろんな考え方があるようです。

 総務省では、地域協働体事業を平成23年度からスタートしています。これは仙北市が既に取り組んでいる地域運営体と全く同じ発想です。地域を経営し、防災力を保有し、再生産が可能な永続的地域をつくる思想です。

 まだ、理論的な論拠づくりには力が足りませんが、地域運営体政策は間違っていないことを確信できた勉強会でした。

コミュニティを考える市長の会①


 久しぶりブログです。実は昨日までこのブログを書き込みするシステムに障害が起こり、しばらく書きたくても書けなかったという状況でした。皆さんにお伝えしたいことが幾つもありましたが、…忘れてしまった。まずは確実なところを。

 5月12日、都内で開催された「国のかたちとコミュニティを考える市長の会」に参加。出席市長は全国から23人。

 最初に名和田法政大学教授が問題提起。この中で名和田教授は、「東日本大震災では、行政が壊滅的な打撃を受けた一方で、住民側の結束が災害の拡大を防いだ。国際社会の声は、ここに賛辞を送っていた。堤防の整備が遅れた漁村では、地震の度に山に逃げる習慣を維持していたが、築堤が済んだ場所では、よもやと思える災害になった。もちろん津波の規模が想定外だったが、ハード(堤防)よりもソフト(避難習慣や集落の在り方)が命を守ったとも分析できる。コミュニティは人命に直結するシステムだ」と話しました。

2011年5月7日土曜日

女川町から一時避難の皆さん


 昨日、宮城県女川町から110人の避難者を受入れしました。2週間ほど前から宮城県、秋田県、そして仙北市で調整を進めていました。今回の受入れは半年間を目処としていて、これまで秋田県では経験のない期間となります。

 受入れが決まる際、女川の安住町長と電話でお話しをしました。安住町長には「大切な町民の皆さんをお預かりするのですから、責任を持って毎日の生活支援を行います」とお話しをさせてもらいました。また安住町長が提案する2階建て仮設住宅についてお聞きすると、「法令など難しい面もありますが、実現したいと思います」とのこと。土地が狭い箇所での住宅確保策として、有効なアイディアだと思います。

 さて、避難者の皆さんにすれば、これからの半年間は、市内4箇所のホテルが自宅です。女川町の要望で同じ地域の町民は、同じホテルに滞在させて欲しいとのこと。コミュニティを考えると大切な要望です。何とかお応えできたと思います。随行してきた女川町職員の小松さんによると、まだ町内には1200人ぐらいの方々が避難所生活を続けているそうです。大変さに胸が詰まります。

 皆さんには、これからの人生の再スタートに向けて、ゆっくりと体も心も休めて欲しいと思います。

2011年5月5日木曜日

武家屋敷通りのシダレザクラ


 今日は朝から穏やかな天気で、桜もほぼ満開となっています。昨日、一昨日と連休の後半になり、やっと人が動き始めたかな…、みたいな状況です。今日も武家屋敷通りは歩行者天国で、大勢の皆さんが黒塀と桜のコントラストを楽しんでいます。

 実行委員会では、会期を8日まで延長しています。週末まで花を楽しむことができそうです。また水ばしょう、カタクリも美しく咲いてくれています。さあ、外に飛び出して、雪国の春を、一時の季節を味わってください。

2011年5月3日火曜日

カタクリ咲いています


 市内西木町八津・鎌足地区で、カタクリの大群生がお客様を喜ばせています。ただ例年に比べると、花の付きが遅いようで、八柳会長によれば、連休後半も見頃の時期が続くそうです。

 どれくらい観光客数は落ち込んでいますかと尋ねたら、「昨年の5月2日までの累計入園者は13,000人で、今年はこれまでで5,000人程度。半分以下です」との答え。「寒いからなあ」とお話ししていました。

 写真はカタクリを撮るカメラマンの後ろ姿。カッと明るい日差しが欲しいと、みんな思っています。

少しでも元気になってくれたら


 昨日は、仙北市内に避難している皆さんを迎え、角館の桜を見る会が開催されました。主催したのは市企業連絡協議会(安藤大輔会長)で、自分も参加をさせてもらいました。

 同協議会は、昨年設立された新しい団体です。50以上の個人・企業が参加していて、ネットワークを広げています。若手経営者が多く、発想も行動も斬新でとにかくスピード感があります。

 自分は始まりのあいさつで「乾杯はやめましょう。いただきますで会を開きましょう」とお話をさせていただきました。ところで、参加してくれた避難者の皆さんに楽しんでもらおうと、協議会メンバーがお弁当やジュース・ビール・お酒を調達してくれていました。福島からの方々が多く、それを気遣ってわざわざ福島の銘酒「会津中将」も用意。さすがの心遣いです。ほんのり頬が桜色に染まったおじいちゃん、おばあちゃんは「久しぶりに楽しい」と言ってくれて…。その言葉を聞いたこちらも元気になれました。