ラベル 2011台湾レポート の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 2011台湾レポート の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年8月21日日曜日

台湾レポート⑧「北投の夜」


 調印式が終了後、関係者が一同に会し、北投温泉の「水美温泉会館」に集合。水美会館は先ほど一緒に調印をした北投温泉開発発展協会の周水美理事長が経営するホテルです。周さんは2人の子どもがいる女性実業家。調印のセレモニーなどは全て周さんの企画だったといいます。

 写真は、交流会で関係者が輪になって「万歳三唱」(中締めです。写真中央の和服姿の女性が周さん。この和服は訪問団からのプレゼント。実は中締めの後、約3時間にわたる交流活動をした猛者が多数いたことを翌朝聞きました。やるなあ)。

 自分は、例の如く歌って踊ってお酒をいただいて、汗だくのヨレヨレ。でも良いお酒で、しばらく興奮が冷めず眠れませんでした。本当に多くの収穫をいただいた台湾訪問でした。

 馮寄台・駐日代表に両温泉の友好調印をご相談してから1年と半年。常にお支えいただく幸運に恵まれました。多くの関係者の皆さん、市民の皆さんに、重ねて謝謝!、終。

台湾レポート⑦「感動の調印式」


 8月19日は、今回の台湾訪問のメインイベント「北投温泉と玉川温泉の友好調印式」です。会場となった台北市庁舎市民ホールの設営で、昨日の夜遅くまで多くの皆さんが汗を流したお話しを聞きました。心から感謝を申し上げます。

 セレモニーはとても和やかなムードで進行しました。始めに地元小学生による台湾伝統舞踊の発表、続いて日本の温泉文化を彷彿とさせる浴衣姿の子ども達の行進。佐竹知事のスピーチ、ハウ台北市長の歓迎の言葉も素晴らしい内容でした。
 写真は調印式が終わり、各自が署名を披露(右から関湯瀬ホテル社長・自分・佐竹知事・ハウ台北市長・陳台北市産業発展局長・周台北市温泉発展協会理事長)している様子。玉川温泉水と北投温泉が、大きな透明容器に注がれて一体になるパフォーマンスや日本式の鏡開きなどが続き、台湾のマスコミの皆さんも驚いた様子。

 今回の調印式、台北市政府や秋田県の協力がなければ、この規模でのセレモニーはできなかったと思います。今春3月25日に予定していた調印式は、3月11日発生の大震災でいったん延期、再度の日程調整を始めたのが6月でした(この間もずっと駐日台北経済文化代表所、亜東関係協会などからアドバイスを受けていました。代表はじめ皆さんにはお礼の言葉も見あたらないほどです)。周理事長、関社長、高橋仙北市国際交流協会会長…、多くの関係者から絶妙なタイミングをセットいただきました。

 この後、北投温泉・台北市との交流が始まります。観光分野だけではなく、医療と健康を促進するための台湾からの医師招聘(国内法の改正が必要)、また商業ベースでの連携など、可能性は無限大です。今回の調印はその「はじめの一歩」です。

台湾レポート⑥「県と合流して」


 8月19日、仙北市国際交流協会(高橋練三会長)一行と別れ、新幹線で再び台北市へ。秋田県と山形県が合同で行う航空会社訪問に合流。自分は高雄からの移動で最初のエバー航空を欠席しなければいけませんでした。

 台北駅で下車しタクシーで復興航空本社へ。台北も暑い。午後からは35度になるとか(めげないで頑張ろう)。タイミング良く本社前で佐竹知事、津谷北秋田市長とお会いできて、そのままミーティング室へ。しばらくして吉村山形県知事も到着。ほどなく総経理(日本でいえば代表取締役社長)の陳さんがにこやかに見えられ、意見交換会をスタート。佐竹知事は「まずは9月8日のチャーター便の運航に感謝を申し上げます。さらに秋田の空港2箇所と山形の空港2箇所があれば、多彩なイン・アウトの旅行商品が可能です。内陸縦貫鉄道も併せて、ぜひ利活用のためのチャーター便を増便いただければと思います」とあいさつをされました。
 陳総経理は「日本便は昨年度実績で1000便。今年が少ないのは、東日本大震災の状況が不明だったからです。でも8月以降は前年同様ぐらいまで高めたいと思います」と話されています。

 内容は次に訪れた中華航空(写真:自分の左隣が吉村山形県知事、その隣が陳総経理、佐竹知事、津谷北秋田市長)も同様ですが、チャーター便の運行に実績のある復興航空と、定期便の多い中華航空ではメニュー内容も違います。中華航空では秋田運行を既に検討しているらしく、かなり前向きなお話を伺うことができました。

 訪問は復興航空訪問の後に昼食をはさんで中華航空、その後で台湾交通部観光局でした。この昼食が大変でした。復興航空の余りの歓迎ぶりで、お昼からビールがテーブルにどんどん出てきます。台湾では「ホッターラ」といって、グラスを空にあけて何度も返杯を続けるルールがあります(これが常識。これを破ることは非常識、非礼にあたる行為です。厳に慎まなければいけません)。いい気になって杯を重ねたため、終わり頃はフラフラ。後からの中華航空、観光局は何とか職務を全うできましたが、この夜に開催された亜東関係協会主催の歓迎レセプションでは、全くの役立たずに成り下がってしまいました。反省。

台湾レポート⑤「高雄市政府表敬」


 自来水公司を後に、高雄市政府を表敬訪問。何と立派な市役所でしょう。一番驚いたのは、玄関から入ってすぐ右側にある市民苦情センター。24時間体制で電話を受け付けているそうです。このセンターで働いている皆さんは、身体のいずれかに障害を持っている方々だといいます。障害を持った皆さんの雇用促進の場としても評価が高いと説明をいただきました。

 さて応接室で待機していると、7月末に転倒して腰を痛めた陳市長にかわり、副市長の陳さん(同姓です)、観光局長の陳さん(これまた同姓です)、秘書所長の黄さんなど、市幹部の皆さんが来てくれました。
写真は陳副市長にお土産を披露している場面。角館の伝統工芸品「樺細工」をお見せすると、「とても美しい品物です。日本の文化や技能は素晴らしいですね」と絶賛をいただきました。

 自分は「姉妹湖締結から24年が経ちました。今後とも観光連携、また商業・工業振興でお互いの交流をさらに深めましょう。仮に高雄市内の企業が日本でのビジネス展開を考えているのであれば、最大の応援もさせていただきます」とあいさつ。陳市長は「私どもにも何なりとお話しください」と力強いお言葉。さらに「歓迎の会を準備しています。親交を温めましょう」との提案。郊外に新しくオープンしたショッピングモール(ホテル・レストラン・遊園地など)に案内をいただきました。

 会場はカラオケセット完備の大宴会場。「乾杯」のセレモニーが終了した途端、爆発的な瞬発力で歌が始まりました。台湾の皆さんは誰もがエンターティナーです。市政府の立法院秘書、林さんはどんな日本の歌もご存知で、すぐにハーモニカでメロディを奏でてくれます。そのハーモニカの演奏と、カラオケの大音量で息切れがするほど。自分は吉幾三さんの演歌と踊りをご披露申し上げて…、写真がなくて何よりです。

台湾レポート④「たつこ飛翔像」


 自来水公司のお取りはからいで、澄清湖に建立されている「たつこ飛翔像」を見学。ここで澄清湖と田沢湖の姉妹湖締結の歴史を説明しましょう。

 1986年、田沢湖商工会は秋田魁新報社の論説委員長だった渡部誠一郎氏から、冬の田沢湖観光の起爆剤にできると台湾からの誘客を提案いただきました。外交評論家の加瀬英明氏からは「澄清湖と田沢湖の姉妹湖締結を行えば、将来的な事業展開が見込まれる」との助言をいただいたそうです。

 姉妹湖締結は1987年11月に実現。当時の高雄市政府、自来水公司、台湾外交部亜東関係協会など関係者のご協力は相当のものだったと思います。その後、何度かの台湾訪問と合同写真展などを経て、1990年、彫刻家有賀敬子氏製作の「たつこ飛翔像」を自来水公司に寄贈。田沢湖からも関係者が多数訪台して、建立記念式典が開催されました。このお返しにと1991年、田沢湖に「飲水思源像」が建立されました。

 澄清湖の「たつこ飛翔像」は周辺整備が近年なされ、一帯が澄清湖のシンボルになっています。台座の側面には馴染み深い多くの民間企業や個人の名前が刻み込まれていて、仙北市自治体外交の象徴といえるブロンズ像です。

台湾レポート③「自来水公司」


 8月17日午後、高雄市内の自来水公司第7区管理所で熱烈な歓迎を受けました。全職員の玄関でのお迎えから始まり、大会議室に入れば卓上には花、また高雄市自慢のフルーツの数々やお茶などが用意され、台湾の皆さんの心遣いは本当に感動的です。これまでの旧田沢湖国際交流協会の活動があればこその対応だったと思います。関係の皆さんに謝謝!。

 自分はごあいさつのスピーチで、「まず高雄市の澄清湖と田沢湖が、24年間にわたって交流をいただいていることに謝意をお伝えします。さらに東日本大震災では大変なご心配をおかけしました。仙北市は直接的な被害は最小レベルです。ですが観光客は激減しています…。先ごろ自来水公司からいただいた30万元以上の義援金は、仙北市が支援を続けている被災地(岩手県や福島県の市町)にお届けさせてもらいました。被災先から感謝のメッセージも持参しています」などなどお話ししました。王さんからは「今後も田沢湖との友好の絆をさらに強く結び合いましょう。災害復興では、何なりとお話しください。可能な限りの協力を惜しみません」との言葉をいただきました。

 その後、王さんに岩手県の宮古市長・山田町長・大槌町町長職務代理者から託されたサイン入りメッセージを手渡しました。国際交流の本質的な姿を体感した気がします。

 写真は大会議室での歓迎会風景。窓の外には澄清湖が広がっています。自分の手前が王さん。似つかわしくない冗談にもお付き合いをいただいてすみませんでした。王さんは素敵な人格者です。

台湾レポート②「酷暑の高雄」


 写真は台湾高速鉄道の車体ノーズ。台北駅から高雄市までの345kmを最高速度300km/h、ノンストップ便では所要時間約1時間30分で結んでいます。日本の新幹線技術を初めて輸出して完成しました。

 ところで高雄市は台北市よりも南ですから、本当に暑くて暑くて…。高雄市の左営駅に降りた瞬間、目まいがしました。でもホームから駅舎に入ればエアコンがギンギンです。原発問題で節電対策を続けなければいけない日本とは大違い。

 駅までお迎えをいただいたのは、台湾自来水公司第7区管理所の王さん。自来水公司は日本でいえば水道企業局のような組織で、第7区は高雄市周辺とのこと。水道も温泉も河川も湖も、全部この自来水公司が管理を行っています。
 さて王さんの経理という肩書きは、この事業体の代表にあたります。つまり表敬先の一番偉い人が、わざわざ駅でお迎えをされるという対応です。これは後になって分かったことです。だから車中では本当に失礼なお話しをしてしまいました。

 「いやあ、これだけ暑いと、女性の服が薄くて短くて、イイッスネ~」。「市長は薄くて短いの、好きですか?」。「だ~い好きっス」…。外交問題になりかねません。

台湾レポート①「台湾へ」


 8月16日。日中の公務が終了後に上京。台湾への出張に備え羽田に近いホテルで一泊です。関係資料を午前2時まで読み込みました。

 いつにないこの真面目さが災いして、翌日(17日)は寝過ごし、朝5時15分発のエアポートリムジンには、ヒゲも剃らず歯も磨かず状態で、やっと飛び乗りました。一緒に訪台していただいた仙北市国際交流協会の皆さん、ご心配をおかけしてゴメンナサイ。ボサボサ頭(気持ちだけ…)で、羽田空港発の中華航空で台北(松山)空港へ。フライト時間は約3時間。

 今回の台湾訪問にはいくつかの目的があります。1つは台湾中部に位置する高雄市(昨年県と市が合併して人口270万人。台湾第2位の都市に)内の澄清湖と、田沢湖の姉妹湖提携交流事業に対する謝意表明です。これまで24年の長きに渡り民間交流が続いています。また1つは秋田県・山形県との合同活動で、台北市(周辺人口で台湾国内第1位の人口で300万人以上と言われる。台湾の首都)内に所在する各航空会社(エバー航空・復興航空・中華航空)へ、旅客便増加要望と新たな観光ルートの提案。さらに仙北市としての最大イベントは、台北市内の北投温泉と玉川温泉の友好関係調印式の実施です。

 国際都市台北との関係構築は、「小さな国際都市づくり」を標榜する仙北市にとって大きなステップです。また仙北市が誇る温泉資源の活用、特に医療・健康政策分野では、台北市が世界の先頭を走っています。相互協力が深まれば、仙北市への台湾医師の派遣が叶うかも知れません(現状は日本の法律改正・特区承認が必要)

 今回の台湾訪問に関する記事は、同行した秋田魁新報社の佐藤朋紀記者の取材で新聞にも掲載されています。このブログでは、新聞には書けない裏話しなどを、皆さんにこっそりとレポートします(写真は北投温泉開発発展協会の皆さんと調印後に記念撮影をしたときのもの。立会人の佐竹知事の顔も見えます)。