skip to main |
skip to sidebar
大好きな武藤鉄城先生(考古学者・民俗学者)が、秋田郡邑魚譚で〝蟹の恩返し〟 という角館の昔っこを書き残しています。
ある村の長者殿に一人の娘がいました。娘は毎日の食事の後、家の前の小川で食器を洗うことが習慣です。その小川には多くの沢蟹が棲んでいて、ご飯のオコボレを食べて生きていました。さて、この村の近くに大きな沼があって、毎年わかい娘を沼の主に人身御供で捧げる決まりがありました。そうしないと田畑が荒れて作物ができません。ある年、その人身御供に長者殿の娘が選ばれて…。娘は悲しみながらも受け入れ、白装束に身を包んで棺おけの中へ。村人は娘が横たわった棺おけを沼の畔に運び逃げ帰りました。その夜の丑満時、急に生くさい一陣の風が吹き、何やら恐ろしい気配が近づいて来ます。娘は生きた心地がしません。そして大きな何かが棺おけをグルグル巻にして、ついにメリメリと壊しながら娘を襲おうとしたのです。それは目玉を爛々と輝かせた大蛇でした。
ちょうどその時です。どこからか沢蟹がワサワサ寄せて来ました。真っ黒いかたまりに見えるほどの数です。そして一斉に大蛇の鱗の間に潜り込んではハサミで肉を切り刻みます。大蛇は苦しさのあまりドッタンバッタンのたくり廻り、とうとう動かなくなりました。沢蟹に助けられ、娘は無事に帰ることができました。※一部は読みやすく現代語訳しています。
大好きな武藤鉄城先生(考古学者・民俗学者)が、「鳥・木の民俗」(秋田文化出版社)で山手欅(ブナの別名)にまつわる昔話を紹介しています。そこには…。
山の神はブナの実を持って里に現れ、人々の労苦を見舞って歩いたことが記されています。田沢村小沢の部落では、近くの山の黒尊仏がブナの実をお土産に家々を訪ね、以後は部落全体が一切の災厄から免れたと…。ブナの実がどれほど有難く貴重だったかが想像できます。その実はソバより少し大きい程度で、決して食べ応えがあるとは思えません。でも栄養価が高く、当時はブナの実の一升は米のそれより高額だったと思われる、と書き残しています。
ブナの実は、最近はクマの食糧として話題になります。今年はブナの実が豊作だと聞きますが、それで里に出てくるクマが少ないのでしょうか。これ、もしかしたら山の神が…。
※今年、鉄城先生は生誕130年・没後70年です。
大好きな武藤鉄城先生(1956年没)が、仙北地方の古老から聞き取った「七夕の川の怪異」です。七夕の日は夕方に村の子どもが集まり、七夕飾りや自分の穢れ(けがれ)を…。
移した人形(ひとがた)を川に流しました。しかし大人は、暗くなる前に必ず家に帰るよう何度も言い聞かせたそうです。当時、七夕の夜はあの世とこの世の境界がゆらぐ、お盆の始まりの夜だと信じられていました。夜の川には流れていく供物や人間の穢れ(けがれ)を狙い、カッパやあの世からの迎えの霊が、水面の下にうようよ潜んでいると…。
織姫と彦星のラブロマンスは天の川に、異界に通じる恐ろしい罠は近所の川に…。
大好きな武藤鉄城先生が、仙北地方の古老から聞き取った「五月童(さつきわらし)」を紹介します。この季節になると、各地には田の神を迎えるさまざまな習俗が伝わっていて…。
その中で語り継がれた不思議な存在に、五月童(または田の神のお使い)がいました。田植えの最中、誰もいなかった畦道をトコトコ歩く小さな子どもの姿。あんな子ども、この辺りにいたかなあと思って一瞬目を離すと、あれっ、誰もいない。田んぼに落ちたかと心配してそこまで行くと、植えたばかりの苗が見事に青々と立ち上がっていた…。こんなお話しです。
そんな子どもは、豊作をもたらす五月童だと信じられていたそうです。
大好きな武藤鉄城先生(1956年没)が、仙北地方の古老から聞き取った「座敷童子の春の引っ越し」を紹介します。古老は、春彼岸から芽吹きの頃に座敷童子が宿る家を替えたり…。
山と里を行き来したりすると話したそうです。以下はその要約。〜仙北の古い家々で語り継がれた話しです。春の夜、まだ雪解け水が家の脇を騒がしく流れる頃、 夜中にふと目が覚めると、廊下や座敷をトタトタ、トタトタと、小さな足音が幾重にも重なって歩いているのが聞こえます。そっと障子の隙間からのぞいてみたら、そこには5〜6人の小さな子どもたちが一列になって、静かに玄関へ向かって進んでいます。でも子どもたちには顔がなく、のっぺりとした白い仮面のような質感なんです〜。
このお話しは「秋田の民承(1971年・秋田文化出版社)」などに掲載されています。仙北の迷信で、この引っ越しの瞬間を見てはいけないこと、また引っ越しの翌朝、座敷や縁側に残った座敷童子の足跡を素手で拭いてはいけないと戒めています。