2019年5月9日木曜日

(株)吉野家HDの安部会長と



 「ボトム(奈落の底)に起死回生の起点があった」、「勝つまでやるんだから必ず勝つ」、「企業も人も長所と短所が表裏一体で個性なんだ」…、(株)吉野家HDの安部修仁会長から、魂を分けてもらったような気がします。


 秋田市で内外情勢調査会に出席。会食では安部修仁会長とお隣の席で、「吉野家には、素晴らしい秋田県出身の役員がいたんです」と教えてもらいました。「だから秋田県にはだから親近感を持っているんです」と。そんな安部会長の略歴は…、1949年福岡県生まれ、プロのミュージシャンを目指して上京。吉野家新橋店にアルバイトを始め、正社員となって築地店(吉野家1号店)に勤務。当時社長だった松田瑞穂氏に絶大な影響を受け、それでも創業家のビジネスが傾いて、1980年に会社更生手続きを開始。「倒産の前、会社は倍々で大きくなっていました。来年度の社員採用は今年度の倍と言う勢いです。その倍の社員が働く店舗数を翌年開店するんです。当時の吉野家は粗製濫造でした。何より数とスピードを優先したんです。牛丼の品質もどんどん落ちて…。倒産は当然です。そんな状況でしたから、社員も見る間に辞めていきました。私は頭の芯がシビれるくらい考えました。いま辞めるか、最後まで見届けて辞めるか、それで後者を選びました。この時期が一番仕事をしました。この時、そして2004年のアメリカBSE問題の時、それを乗り越える社員の努力がありました。その後、牛丼を美味しくする、赤字店を間引く、そして店長をリ・トレーニングするなどで、いまの吉野家があります」と。どれも心に響くお話しでした。


 豊洲に市場が移る前、築地で牛丼を食べたことがあります。安部会長がミスター牛丼と言われるスタート地点です。よけいに感動しています。

1 件のコメント:

  1. とりあえず仙北市内初の牛丼チェーン店として吉野家を誘致してください。吉野家なら大曲仙北地域初にもなります。

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