2016年6月5日日曜日

長崎県大村市を訪ねて~再会の旅①

 戊辰戦争(1868~1869年)は、明治政府と旧幕府勢力・奥羽列藩同盟の内戦です。この時、秋田藩(久保田藩:佐竹氏)は東北で唯一、明治政府を支持しました。国学者の平田篤胤(秋田藩出身)の存在が大きかったと言われています。

 秋田藩が苦戦する中、援軍で駆け付けた大村藩士は326名。その中に濱田謹吾少年(大村藩)がいました。謹吾少年は刈和野の戦いで戦死。その襟の中に母チカの和歌「ふた葉より 手くれ水くれ待つ花は 君のためにぞ 咲けよこのとき」が縫い付けてあったそうです。

 母の思いに感動した角館の皆さんは、謹吾少年を手厚く葬り、また戦死した大村藩士を供養したと伝えられています。大村藩士の応援がなければ、角館の町並みは今に存在することもありませんでした。この史実が大村市と旧角館の姉妹都市提携に結実(1979年)し、仙北市誕生後も交流はさらに深まっています。

 今回の大村市訪問は、大村公園に建立されている濱田謹吾銅像30周年記念式典への出席が目的です。写真は式典前、大村市役所での園田裕史・大村市長を表敬した際の記念撮影。ピンクのネクタイを付けた方が園田市長で、左端は吉野哲・副市長。青柳宗五郎・仙北市議会議長、吉川豊・吾往会会長(大村市側の交流母体)、矢野庄作・戊辰会会長(仙北市側の交流母体)など皆さんと。

 約150年前の出来事が、時空を超えて両市を結んでいます。まるで親戚が集まったような錯覚を覚えます。園田市長は39歳。昨年11月に着任したバリバリの青年市長で、来年のチャレンジデーでは友好対戦のお話も飛び出しました。

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