2010年12月23日木曜日

プロジェクトの目標


 21日、田沢湖にクニマスの里帰りを進めるプロジェクトが正式に設立となりました。構成は仙北市各課(企画振興課・農山村活性課・文化財課・観光課)と、秋田県各課(環境管理課・自然保護課・農林政策課・水産漁港課・農林水産技術センター・水産振興センター・仙北地域振興局・地域活力創造課)です。
 市からプロジェクトの事業内容などについて説明し、県に協力を求めました。事業メニューは、成魚の入手、養殖の開始、田沢湖と西湖の友好提携、中坊先生、さかなクンなどへの名誉市民賞の贈呈、県の魚への指定、男鹿水族館または田沢湖分館での水槽展示など…。
 究極の目標は、もちろん田沢湖再生です。70年前の自然体系を復元しない限り、本当のクニマス里帰りは叶いません。

 さて25日~26日、京都大学の中坊先生や富士河口湖町の西湖関係者などとお会いし、上記の実現性についてもお話しをさせていただきます。田沢湖再生がクニマスの発見で、劇的に動き出したような気がします。2009年6月11日の旧ブログ(閉鎖)を読み直しています。

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《旧ブログ記事》

 田沢湖畔のたっこ茶屋横で、集落の皆さん等がコツコツと彫り進んできた丸木舟は間もなく完成し、進水の日を迎えようとしています。
 今から4年前、茶屋の裏山から樹齢150年と言われる杉の大木を切り出し、その後しばらく乾燥のために放置していた巨大丸太。昨年6月23日に「斧入れ式」を行った後、提案者の三浦久さんを中心に、集落の皆さん、田沢湖に生命を育む会、そして応援隊が少しずつ作業を進めてきました。
 今から70年前、田沢湖は多くの魚族が生息する、静かで豊かな湖だったそうです。それが戦時下の電源開発・食糧増産という国策で、玉川の強酸性水を導水。下流では湖で薄められた湖水を利用して、開田と稲作が飛躍的に進みました。でもクニマスをはじめ魚族は死滅。以降、田沢湖は死の湖に…。

 三浦久さんのお父さん、漁師だった久兵衛さんの記録には、

「クニマスは毒水に苦しくなり、真水のある深い所へ入って行った。やがて死滅してしまったと思う。それ以外の魚は真水の流れ込む沢に、まるで突き刺さるように集まり、数年でいなくなってしまった」
 とあります。

 田沢湖に生命を復活させたい。子どもたちの素朴な疑問「どうしてこんなに綺麗な湖に魚がいないの?」に胸が痛む思いです。これから50年、100年の歳月を費やす覚悟で、田沢湖再生に踏み出さなければいけません。自分が政治の世界に進んだ理由の一つも、ここにあります。丸木舟は往時の田沢湖の象徴です。
 舟の復活は、多くの意味を持つできごとです。

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