2016年11月27日日曜日

仕事と床屋と宇多田ヒカル

 昨日は市政報告の調整で田沢湖庁舎。でも休日仕事も辛くありません。だって夕方は散髪でしたから!。床屋さんが大好きです。クラシックなお店も全国チェーンも特定しないで、いろんなお店を訪ねます。腕が良いのに不愛想なおじさん、世間話の度が過ぎてお客を逃しそうなおばさん、耳掃除やマッサージを売り物にしているお姉さん…。近いうち、「アナタのまちの床屋さん」と言う本を出版しようと思っているくらいです。

 今日のお店のご主人は〝ラジオ派〟とお見受けしました。ラジオはニュースも天気予報も音楽もあって、何だか得した気分になれます。そして突然、宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」が流れました。
    彼女はデビュー以来、私の人生の分岐点でいつも一緒です。

 「Automatic」を歌う彼女は15歳でした。私は地域活動にも行政機能にも限界を感じ、実体的なまちづくりの情熱に戸惑う39歳。そこに無名の少女がさっと現れ、世の中の価値観を一変させてしまったのです。彼女自身が「留まっていては何も生まれない」と言うメッセージでした。さらに3年後に18歳で紀里谷和明氏と結婚。同月、私も42歳で県議選に出馬するため役所を退職しました。

 「Keep Tryin'」は、2度目の県議選を悩んでいた頃のヒット曲です。「標的になって泥に飛び込んでLadyレッツゴー」のフレーズに、どれだけ励まされたことか。以降、何かに立ち往生する度に、耳の奥で彼女の歌声が聞こえました。しかし彼女は5年前から「人間活動」に入り、姿を見ることができませんでした。そんな経緯があって先月の「NEWS ZERO」です。まさに積み上がった懸案に判断が必要なタイミングで、彼女と再会できました。

 話が長くなりました。そんな訳で床屋さんを出て真っすぐCDショップへ向かいました。いま「ファントーム」からエネルギーを充電中です。

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