2021年5月22日土曜日

提案「新・秋田旅~八郎の宿~」


 今回は~八郎の宿~です。八郎潟の龍神・八郎太郎が、田沢湖に住む龍神・たつこと一冬を共に過ごすため、八郎潟から歩く距離は片道で約100キロ。その間に定宿が9軒あったと伝えられています。実際に訪ねてみると…。

 早朝に自宅を出発し鹿角市草木へ。ここに八郎太郎生誕の碑が建立されています。今日は道路向かいで草刈りをしていた黒沢さんと立ち話しができました。仙北市から来たと言うと、「おお、八郎がお世話になっています」と。さらに「八郎は山の掟を破って龍に化身し、その後は十和田湖に住み、しかし南祖坊に追いやられ、米代川を下り、やっと八郎潟に落ち着いたんです」と八郎の半生を教えてくれました。次に潟上市昭和へ。ここには八郎神社があります。参拝に来ていたお婆さんのお話では、八郎はこの神社の近くに住んで漁を生業としていたそうです。この辺りから、まるで八郎が実在の人物のように思えてきます。そしてある日、八郎は渡り鳥から田沢湖に住むたつこの話を聞き、何としても逢いたくなって田沢湖への旅を決意します。

 八郎は毎年の往来に立ち寄る定宿がありました。今に伝わる宿は、新関(旧昭和町)→久保田(秋田市)→仁井田(秋田市)→船沢(旧協和町)→上淀川(旧協和町)→大浦(旧神岡町)→土川(旧西仙北町)→中川(旧角館町)→西明寺(旧西木村)の9ヶ所で、特定できる家もあります。ここを車でなぞって走ると、ルートが最短ではないこと、宿と宿の距離が近すぎるなど気になりました。例えば角館の中川(仙波家)から西明寺(赤坂家跡)までは16キロ、ここから田沢湖までは8キロしかありません。大男だった八郎は1日で歩ける距離です。

 私の推測ですが、八郎はゆっくりと遠回りで各地を訪ね、たつこにお土産を仕入れて歩いたのではなかったか…。十和田湖を追われた後から八郎潟に落ち着くまで、本当に辛いこと続きだった八郎でしたが、たつこはそんな八郎を受け入れました。霜月の9日、八郎はたくさんのお土産を背負い、愛おしいたつこの待つ田沢湖を目指したんだと思うのです。

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