たざわ湖・龍神祭りのメインステージから呼びかけました。「1940年以前の田沢湖を取り戻すため、世界中の皆さんに水質中和の技術提供をお願いします。私たちは田沢湖再生を諦めません」と。
戦時体制化だった1940年、国は食糧増産と電源開発を目的に、上流の玉川温泉(ph1.1の強酸性泉が毎分9、000リットル湧出)から田沢湖への導水を始めました。その結果、クニマスなど田沢湖に住む魚は死滅し、以降、田沢湖は死の湖と言われるようになりました。しかし、近年は国や県の中和処理対策、山梨県西湖でのクニマス発見、仙北市の田沢湖クニマス未来館建設などで、田沢湖再生に向けた活動が続いています。
でも…、残念なことに水質改善が思うように進みません。私は子どもたちが理科実験室で中和処理技術の開発に取り組んでいることを紹介し、「この子どもたち、さらにその子どもたちの時代に、田沢湖は再生するのかも知れません。魚影が豊富でクニマスも泳ぐ田沢湖です。時間はかかりますが諦めないことです」とお話をしました。
※ステージでの記念写真は、左からシャバ駄馬男さん(司会)、私(一社・市民活動あきた)、三浦久さん(田沢湖再生検討会)、田口寿宜さん(ざっくばらんの会)、田口達生さん(田沢湖に生命を育む会)、小玉夕美子さん(司会)。
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