2018年6月3日日曜日

長崎県大村市にて


 昨日から長崎県大村市を訪ねています。大村市との関係は…。150年前の戊辰戦争で、東北唯一の新政府軍だった佐竹藩は、周囲の旧幕府軍から苛烈な攻撃を受け孤立劣勢でした。そこで九州から援軍を求めます。その中に大村藩士326人がいました。

 明治元年9月15日、現在の大仙市刈和野で大村藩は庄内藩と激突。大村藩の必死の働きで戦いは勝利を治めます。この戦果で角館の町並みは後世に残されました。しかし大村藩士7人が戦死。この7人の遺体を角館の人々は連れ帰り、常光院に手厚く埋葬しました。戦死者の中に15歳の浜田謹吾少年がいました。少年の遺体の軍服には、母チカさんの和歌が縫い込まれていて…。

 こんな史実に基づき、昭和54年から大村市と旧角館町の交流が始まりました。両市には浜田謹吾少年の銅像も建立されています。そして、大村市側は吾往会や親善協会、仙北市側は角館戊辰会などが中心となって交流事業を行っています。この取り組みは仙北市が誕生してからも、さらに強く深くなっています。

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