2011年5月19日木曜日

第33回全国伝建群協議会総会


 正式に表記すれば、伝建群というのは「伝統的建造物群」のこと。日本の建築文化を次代にきっちり受け渡す活動を行うのが協議会です。昭和51年、旧角館町の武家町が国の指定となり、その3年後に第1回の協議会が開催されています。当時は13市町村の参加でした。

 昨日(18日)、滋賀県の東近江市で開催された総会には全国から77市町村が集いました。この席上、参加市町村の総意で特別決議が採択されました。概要は以下の通りです。

 「この度の東日本大震災において、7市町(函館市・仙北市・金ヶ崎町・下郷町・桜川市・川越市・香取市)が被害を受けた。我々協議会は、この市町の復興を支援し、国民共有の財産である文化遺産を後世にに継承することを決議し、国に対しても積極的な保存対策に資する政策の展開を求める」

 

 

 

意見交換会で


 写真は、17日午後に行った女川から避難の皆さんとの意見交換会。皆さんとのお話で故郷を思う気持ちの強さや、女川で避難生活を続ける方々への配慮を感じました。

 集まってくれたのは、田沢湖高原の4つのホテルに避難をしている約120人の代表者、また意見交換に参加してみたいという人は自由参加です。

避難者代表の鈴木さんが、「田沢湖高原の山にかかる霧を見て、女川の海の朝靄を思い出します。沢の水音を聞いて潮騒を思い出します。山と海は違いますが、自然が故郷を思い出させてくれます。このような素晴らしい環境の中に私たちを受け入れてもらって、本当に感謝をしています」と、お話しをしていました。

 その後、避難生活で不便を感じていることやご要望などをお聞きしました。山菜とりには皆さんが興味を持ているようで、「迷ったりしないよう、地元の方の水先案内が欲しい」とのこと。また「洗濯物を干すようなスペースの確保」や「公民館事業のメニューを知らせて欲しい」とか、なるほどと思うこおの多い意見交換会でした。お茶のみ会のような雰囲気で、定期的な開催の必要性を感じます。

2011年5月17日火曜日

がんばれ!女川っこ


 15日に行われた生保内小学校の運動会で、一時避難している女川の子ども達が大奮闘しました。また子ども達の応援に父兄をはじめ30人以上の皆さんが、大漁旗を振って声援しました。

 100人以上の一時避難者は、田沢湖高原の4つのホテルに滞在しています。この中で小学生は5人、中学生が4人、地元の小中学校に在校しています。子ども達は友達もできるなど、少しずつでしが落ち着きを取り戻しているようです。また先日は地元の方々が餅つきをしてくれたりで、大人の皆さんの交流も始まりました。地区小学校の運動会への参加などで、ますます仙北市民との交流が活発化してくれればと思っています。

2011年5月16日月曜日

東北暫定行政機構の提案


 今号の広報せんぼくに表題の提案をしました。どんな流れ方か分かりませんが(広報も市のホームページに乗っていますが)、読みたいというお問い合わせがありましたので、ブログでにアップします。

「東北暫定行政機構を提案します」

 大震災後、国や県の復興に向けた動き方を見ていて不安を感じます。私は現状の行政システムを変える、もっとハッキリいうと、県という単位を一時的に見直さなければ、この国難に対応できないのではないかと考えています。例えば岩手県は罹災者を県外に出さない、宮城県は県外避難を容認、福島県は津波被害以上に原発事故対策が後手となり、未だ混乱の中にあるなどバラバラです。一方でいち早く受入れ準備を整えた他県の情報が、ほとんど被災地には届いていません。各県で情報の集約力が未熟だったために、その後の食糧や物資の偏在、ボランティアが殺到する町もあれば、人手不足で運営が困難になっている避難所もあるなど、避難生活の質的な不均衡が起きてしまいました。

 国の復興計画が話題になっています。が、太平洋沿岸部の漁業従事者の高齢化は深刻です。新しい町をつくる前提に、新たな担い手の確保が不可欠です。また仙台に支店をおく企業の撤退対策、ガレキの撤去と処理場の広域確保、食糧団地の育成、工業の分散化、新エネルギー対策、観光の周遊化などなど、一県の枠を越えた課題が山積する中、東京(霞ヶ関)が東北の価値や役割を理解し、本気で明日の東北を描こうとしているのか、個人的には甚だ疑問です。

 私は、東北が自らの手でビジョンを策定し実践する組織「東北暫定行政機構(仮称)」の設置を提案します。東北六県は、緩やかに一体化した行政機構(メンバーは六県知事と国務大臣、市町村長代表者など)を立ち上げるべきです。国はもちろん地方も財源を持ち寄り、各県・市町村議会代表者で復興事業の適否を協議しながら、県の枠を越えて復興事業を押し進めるのです。民間企業にも大いにご協力をいただきたいと思います。

2011年5月15日日曜日

山田町の沼崎町長と


 5月15日、午前の山本市長(宮古市)に続き、午後からは沼崎町長(山田町)とお会いすることができました。また山田町消防団の菊地民雄団長、広域消防山田消防署の米澤秀樹消防指令長にも同席をいただきました。

 沼崎町長は「昨日現在で安否不明者は299人。この全てが亡くなっているとは言い切れない。中には避難所を巡ったり、または県外の親類宅に身を寄せたり、そういう町民がいる可能性もある。町の消防団に、これ以上の遺体発見をお願いすることはできない。仮設住宅の建設も進んでいる。もうすぐ入居できる住宅もある。人手の面では専門性の高い行政職員の派遣を更にお願いしたい」と話していました。菊地消防団長も「9人の消防団員が亡くなっている。地震発生直後から行方不明者を探してきて、やれることは本当に全部やった思いだ」と胸の内をあかしてくれました。

 仙北市の佐藤団長は、「ご要望があれば遠慮なく伝えて欲しい。同じ消防団として、これまでの活動には頭が下がる思いだ。仮設住宅に入居する皆さんに、花をプレゼントする用意もある。心のケアにも貢献できる」と語りました。

宮古市の山本市長と


 仙北市消防団(佐藤生治団長)が災害復興にどんな役割を果たせるのか、直接被災地の皆さんから情報をいただこうと岩手県宮古市・山田町を訪問しました。

 仙北市消防団からは佐藤団長生治団長、佐々木久悦副団長、田口忠正副団長、鈴木重蔵副団長が、また市からも関係職員が同行。お忙しい中、宮古市では山本正徳市長とお話しをすることができました。山本市長は「仙北市には災害発生直後から支援をいただき、大変感謝をしている。宮古市では3月11日当日、沖に出ていて被害を逃れた漁船を中心に、既に市場も動き出している。今後は仮設住宅の建築を進めたい」と話してくれました。

 佐藤団長は「消防団には様々な職業に精通した団員が大勢いる。お役に立つ場面もあると思う。今後は心のケアが大切になる時期だが、仙北市らしい支援として花苗の提供なども行いたい」など、多様な支援の可能性にも触れた懇談となりました。

2011年5月14日土曜日

一番に重要なライフライン


 仙北市ボランティア連絡協議会の総会に参加。高橋達会長が「東日本大震災直後では、市民から提供いただいた物資の整理に、延べ200人以上の会員が汗を流して作業をしてくれた。心から感謝を申し上げる」とあいさつがありました。ありがたかったのは自分の方で、ボラ協の応援がなければ、被災地にリアルタイムで支援ができなかったと思います。

 さて総会後に行われた、菅原雄一郎さん(県ボランティア協議会長)のお話が印象深かったので、ほんの少し触れます。菅原さんは阪神淡路、中越、日本海中部、そして今回の東日本大震災で現地活動をしてきました。その経験から被災者すべてに必要なこと、部分的でよいことを分けて実施する「標準リスト・個別リストづくり」の考え方や、フェイズ0(災害発生直後で自分の命を守るレベル)からフェイズ3(3ヶ月以降で自治体主体の取り組みレベル)までの行動指針などを、分かりやすく教えてくれました。

 自分が一番心に残った言葉は、「テレビや新聞ではライフラインが電気とか水道とか、そんな話になっている。もちろん間違いではないが、本当のライフラインは人、人手なんだ」と。これも納得です。