昨年12月に亡くなった西木正明さんの追悼展が、仙北市の新潮社記念文学館で始まりました。下記の手紙は偲ぶ会に宛てた…。
9月に地元で開催した偲ぶ会に、私は仕事で参加できませんでした。主催者からの依頼もあって、西木さんへの思いを手紙にしてお届けしました。
〜1988年に「凍れる瞳」「端島の女」で直木賞を受賞した後、協働社角館プラザホテルで祝賀会がありました。私は村役場の総務課に在籍していて、会の準備を多少お手伝いしました。西木さんはそんな私にまで「難儀かけたな」と声をかけてくれて、本当に嬉しかったことを覚えています。以来、村の要覧への寄稿や講演会のお願いなど、恥ずかしいほど何度もご厚意に甘え続けました。
私が県議選に出馬した際は、「親戚から県議候補が出たんだからオレも街頭やるよ」と、選挙カーに乗って郡内のあちこちを走ってくれました。西木さんがマイクを持ち、応援演説が始まると沢山の人が集まります。その間、私は政策パンフレットを皆さんに手渡す作戦でした。間違いなく西木さんのお陰で私の今はあります。
多分その頃だと思います。「田沢湖を戦前の豊かな湖に戻す住民活動」が動き出し、西木正明さんは言い出しっぺの一人として会の顧問を引き受けてくれました。西木さんの活動は楽しく気負わずがモットーでした。日本ペンクラブの重鎮として、仲間の皆さんに田沢湖が登場する物語をお願いしたり、実際に講演会やフォーラムを手弁当で開催したり、楽しいことばかりが思い出されます。
年に何回かは西木町の実家に帰省し、ご近所の皆さんと賑やかに話し込んでいました。同級生と飲むのが健康に一番いいとも言っていました。あの日もコンビニでお酒と缶詰を買い、実家にあげてもらいご馳走になりました。これが最後になってしまいました。西木さん、未だちゃんと感謝も御礼もできていなくて、私は心残りばかりです。もっともっとご一緒したかったです〜。
逝ってしまわれてから早1年になろうとしています。でも新潮社記念文学館に行けば、また西木正明さんに会えるような気がしています。
※追悼展は3月19日まで
※写真は西木町の実家にて
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