シベリア鉄道、世界最長の鉄道路線。ウラジオストックからモスクワまで9297㎞。タイガを抜け、ウラル山脈を越え、ロシア平原を突き進む。列車ロシア号はモスクワ到着まで6泊7日の旅。1車輌にコンパートメントが8室、1部屋は2段ベットで4人用。これが25車輌ぐらい連結し、そのうち食堂車は4輌。3日も一緒に乗っていると、自然に会話や遊びが生まれる。日本人も数名乗っていたが、ほとんどはイルクーツクで降りた。
ある朝方、ガタンという揺れに何かを感じ飛び起きる。ウスリースク駅だ。昔、祖父が暮らしたウオロシロフ収容所のあった町。あわてて枕にしていたザックを探り、日本から持ち出したタバコと日本酒を抱えて車外へ。駅からは出られないので、ホームのずっと端のベンチ横に供え合掌。「ババちゃんと一緒に来れなくてゴメン。爺ちゃん、みんな元気にしているよ」。10分ぐらいの停車時間はあっという間に過ぎて、また走り出すロシア号。
少し沈み加減だったのか、ベットでゴロゴロしていると、隣のコンパートメントから可愛いお客様の訪問を受ける。マリーナ、アクサーナ、ターニャ…、みんな美人に育て!(ロシア③に続く)。
5月2日と3日、ロシア・ウスリースクの農業アカデミィで開催された極東フォーラム(鳩山邦夫日ロ協会会長団長)農業部会に参加してきました。
返信削除門脇市長の祖父がそこで亡くなられたと初めて知りました。小生が国保援護課時代に作った旧ソ連邦秋田県出身抑留死亡者名簿に載っているはず。今回の極東フォーラム参加の
一番の目的は空港のあるアルチョム市に昨年建立された沿海州での抑留死亡者に慰霊碑の前で、「国の鎮め」を吹くことでした。昨日5日の午後1時からその慰霊碑の前で極東フォーラム参加者(約100名)による慰霊祭が執り行われました。そこで私は、進行役となり、戦後66年、今日の平和な日本はここに眠る戦争の犠牲者達のおかげであるといい黙祷の間に日本から持参の軍隊ラッパ(サイパンでアメリカ兵に持ち帰えられ、太平洋を往復した里帰ラッパ)で、黙祷の間、「国の鎮め」を吹奏しました。参加者の多くは涙を流していました。門脇さんの祖父の供養になったやもしれません。