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気づきませんでした。赤スグリ(レッドカラント)の実がこんなに…。
まだ青い実ですが、梅雨があける頃には赤くなります。そうなったら収穫をしてジャムを作って…。このジャムが酸っぱくて甘くて美味しいんです。毎年の楽しみです。
さあ今日もガンバレ!。
おにょさまの骨格図を書いたら、イメージできなかった部分が見えてきて作業が進みました。でも両手を広げると、やっぱり納屋から出られなくて…。
手は屋外に搬出してから組み立てることにして、それ以外の丸木の骨格は何とか完成。丸木と丸木が交差する場所は、お互いに噛み合うようnotch(ノッチ)を入れました。この骨格をベースに竹を縦横に編んで身体にあつみをつけ、仕上げは葦簀(ヨシズ)、さらに筵(ムシロ)を重ねようと思います。
作業が進むにつれて重量が増しています。一本ヒノキに設置できるか少し不安です。
スーパーモール・ラッキー(横手市十文字)が大好きです。今日はさらに嬉しくて、タヌキ口の丸金腹かけタヌキと記念写真を撮りました。だって探していたムシロが4巻あって…。
はい、あの筵(ムシロ:ワラを編んだ簡易な敷物)です。いま制作中のおにょさまは仕上げにムシロが必要で、ここはと思うお店を訪ね歩いています。少しおにょさまが大きくなり過ぎて、身長だと県内一番(4.8m)になってしまいそう…。でも必要なムシロの数が確保できなくて、県内をあっちこっち走って探し回って、今日やっと4巻を買い求めることができました。それにしても…、ムシロはもう過去のモノになってしまったようです。家にもムシロ編み機がありますが、農作業で需要がないので、作った覚えがありません。
皆さま、あそこにムシロがあったよ…、と言う情報をお待ちしています。
トラクターでじっけん農場を耕しています。何を育てるか、また作物の管理や収穫等どれも楽しい作業です。そんなワクワクな時間を皆さんに提供できないか…。
例えばお店の人とか会社勤めの人とか、県外から移住して来た人とか、農業者以外の皆さんにも畑で過ごす時間を提供できたら、地域はもっと楽しい場所になるんじゃないかと考えています。もしかしたら移住定住対策や耕作放棄地の解消に役立ったり、遊び感覚の農業体験が新たな農業者を産む起点になったり…。秋田市では市内に6ケ所の無料市民農園があって、かなり人気が高いと聞きました。一方で農地法は今なお厳格です。私が畑を友人に無料で貸しても、そこで生産した農作物が友人の自家消費であっても、原則これを許していません。
広大な農地は秋田の魅力です。ああ、もう少しで何か思いつきそう…。
この場所に決めました。制作中のおにょさまは仙北市西木町門屋の自宅前、一本ヒノキの畑に立ってもらいましょう。
ここウチの畑です。集落の出口・入口ではありませんが、風の通り道でもなく除雪にも邪魔しません。何よりヒノキは神聖な木材ですから…。このヒノキに立てかけて強度を確保し、できるだけ長い間、地域を守ってもらう役割を果たしてもらえたらと思います。
今日は木に絡みついたツタを切り取る作業(写真)、明日は長木でおにょさまの身体を組み立てようと思います。連休中の完成を目指します。
今日はテレビのお仕事で秋田市でした。他にもお話しの会や取材などで県内外を移動して、その先々でトイレに寄ります。するとウ◯コが出るトイレと出ないトイレが…。
あって不思議に思っていました。「何が違うんだろう…」。もちろん清潔さは一番に気になりますが、ちゃんとしたトイレを選んで入るので遜色はありません。広さは建物基準法や労働安全衛生法で定まっていて、違法トイレも存在しません(たぶん)。それよりも私の場合は恐怖心が問題だと考えていました。トイレ自体や周辺の人の出入りが多いと、安心してウ◯コができないのです。その最中に襲撃されたら対抗できない…、これが出るトイレと出ないトイレの違いだと…。でも、もしかしたらと思い、今日はメジャーを持ってトイレに入りました。そして出るトイレと出ないトイレの便座の高さを計測したら…。出るトイレは全部が便座高40センチだったのです。私の場合ですが、便座高40センチのトイレだと膝も90度に曲がり、姿も力点も理想的でした。
高齢の皆さんが使う場所のトイレは、それより少し高い便座になっていて、しゃがんだり立ち上がったりが無理なくできるよう配慮されています。と言うことは…、年齢や体調によって出入りするトイレも変わるのです。出かけた時、ちゃんとウ◯コができるトイレの場所を知っているかどうか、これって気持ちや仕事のクオリティを左右する条件だと思いませんか?。
昔話研究の第一人者だった小澤俊夫先生(川崎市:筑波大名誉教授)が旅立ちました。市長時代に初めてお会いし、「好きなことをしないのは人生に失礼ですよ」と…。
私が公職を退いた後、各地で昔話を拾ったり語ったりの日常を過ごせているのは、たぶん先生の教えが心に残っているからです。先生が主宰した昔ばなし大学は、仙北市で創立20周年(2012年)・25周年(2017年)と記念事業を連続開催いただきました。私が交流会まで参加できた20周年大会では、思い出の潟分校に全国から600人の皆さんが集まり、各地の昔話を各地の方言で紹介し合っていて、それが本当に魅力的でした。その時も先生は「昔話は耳で聞く文学ですから、方言は物語の一部なんです」と…。
ある時、先生が「弟(小澤征爾さん)に田沢湖の温泉で療養したらどうかと提案したよ」と言うので、内密に市民の皆さんの合唱や子どもたちの吹奏楽のコンサートも計画しました。これは実現しませんでしたが、ワクワクした思い出の一つです。あぁ楽しかった。私はもう少しこちらにいて、昔話の面白さを伝えて歩こうと思います。先生ありがとう。
※写真は神奈川新聞より。