2009年7月9日

締め切り

 事務所でモンモンと県議会報いぶきの原稿書きをしています。ご存知の方はご存知(当たり前)、知らない方は知らない(これも当たり前)でしょう。しか~し、この県議会報は毎定例議会終了後、4ページ構成で1万5千部を印刷し、仙北市内はおろか、全国にも郵送して熱心な読者がいるんだゾっ!と、少々自慢できるシロモノです。で、今回、もう締め切り間近だというのに、どういう訳か筆が進まないのです。売れっ子作家だったりしたら、ホテルに缶詰で書き上げたりするんでしょうが、そんな余裕はありません。そのうち、机の上にある本など手に取り、読みふけって時間が過ぎて…、この状況です。1頁ぐらい書けたかなぁ。 

 そのツボに入ってしまった本、「運命を変える大きな力がもらえる本」という題名で、しかもオビには“お金も人間関係も思いのまま”と、まあ魅力的な言葉が踊っています。なになに?「 現在の状況は、過去における様々な選択の結果である」→昨日も一昨日も時間はあったのに、真面目に原稿を書かなかったアンタが悪い。「未来の姿も、これからの選択によって決まる」→今、明日は出張、明後日は地域づくり会議じゃできねぇだろうが。と、こんなふうな解釈かな。あら、いつになくかなり追い詰められている…。

2009年7月8日

希望のしくみ

 「希望のしくみ(宝島社刊)」を読んでいて、面白い会話を見つけました。アルボムッレ・スマナサーラさん(スリランカ初期仏教界長老)と、養老孟司さん(解剖学者・東京大学名誉教授・作家)の対談です。

 養老さんがいいます。「道徳と理論はつながらないように思いますが、いかがですか?」。スマサラーナさんがいいます。「いいえ。道徳は理論的に成立します。生きている人は誰でも幸せになりたいでしょう。不幸・苦労はイヤだ。失敗はしたくない。非難されるよりは、褒められた方が幸せな気持ちになれる。だからその希望がかなう生き方をすべきです。感情に流されてはダメです。だいたい人がやりたいことはロクでもないことばかりです。お金が欲しいから盗む、食べたいだけ食べる、腹がたつから殴る…。そういうことをしたら、確実に自分が不幸になります。どうやったら幸せになれるか、理性に基づいて状況を判断しなければいけません。他人に迷惑をかけると、反感をかって自分の幸福が壊されてしまう。だから他人に迷惑をかけないようにする。何かするときは、他人の幸せを考えて行動する。すると他人は自分を攻撃してこなくなります。だから自分も幸せになれる。どうですか。いたって理論的でしょう。嘘をつく人は、もともと何かに失敗をした不幸な人です。それをごまかそうとして、さらに不幸になる。嘘をつかないということは、自分を守り、他を守ることになります。これらは仏教的な道徳の柱になる部分です」。

 家族や周囲に幸せを感じてもらうために、まずは自分の人生に嘘をつかない。そんな生き方したいなあ。

2009年7月7日

自戒


 国の礎は人です。明治政府も、新しい国づくりに際し、全国から優秀な人材を登用しています。そのとき秋田はどうしたか…。米はとれる、杉もある、石油だって湧き出す裕福な土地柄です。家にいれば食いっぱぐれはありません。長男たる者は家を継ぐ、秋田の不文律です。この長男主義が、秋田から逸材を輩出できなかった精神構造だと、浅利佳一郎さんはスルドク指摘します。
 昨日ご一緒した方が、毎日新聞の東京版に面白い記事があったと教えてくれました。~秋田は三方を山に囲まれ、一方が海という閉鎖社会の中で、主に農業で生計を立ててきた。ひやみこき、えふりこき、しょしがりの県民性はこの環境から生まれた~とあります。先述の浅利さんは、八郎潟を干拓して広大な農地をつくった理由を、秋田の農業主義があったためと分析しています。干拓地に空港をつくり、人・情報・物流の拠点にしようという、当時としては突拍子もない提案もあったとか。
 歴史に“もしも”は無意味です。ただ日常の判断だって、常識や経験則に頼り過ぎてはいけないと、密かに自戒しています。

2009年7月6日

デザイナー 官能右泰さん

官能右泰(かんのうすけやす)さん。グラフィックデザイナーで、秋田公立美術工芸短期大学の准教授をされています。友人を通じて紹介いただき、ぜひお話をお聞きしたいと研究室まで押しかけました。

 「生まれは京都です。官能って珍しいでしょ。京都でもウチぐらいかな。秋田に来る前は大阪芸術大学院で助手をしていました。そして秋田です。昨年度からゼミ活動(グラフィックデザイン・官能ゼミ)で、地元企業と一緒に“秋田を元気にするブランドづくり”に取り組んでいます。学生のアイディアは無尽蔵です。技術に裏打ちされる工芸などは、歳月を重ねないと良いものはできません。でもアイディアは年齢に関係ないでしょ。面白いアイディアを聞いてくれて、カタチにする秋田にならなければダメです。京都はここが違います。クリエイターの意見を大切にしてくれる風土があります。だからデザイナーは手弁当でも街のために汗を流す。良い商品、良い地域ブランドを産み出すためには、最初からデザイナーが関わるべきです。秋田いなふく米菓の米かりんとう(全国展開で大ヒット商品)や両関関酒造の七夕絵どうろうオリジナルボトル、ABS秋田放送の週間エビス堂番組プレゼントなどなど、多くの取り組みがあって、どれも楽しい仕事でした。今ね、秋田内陸縦貫鉄道に興味があるんです。100キロもある沿線地域を、統一ブランドで売り出すのは、もったいないと思いませんか。それぞれの駅にキャラクターがあったり、それを切符に印刷してバリエーションを楽しんだり。そうだ、社員の皆さんには切符で名刺をつくりましょう」。 
 その官能先生、未だ内陸線に乗ったことがない?…。そこで急きょ内陸線堪能ツアー(官能と堪能をかけたんですけど)を実施することに。7月20日、角館駅から鷹ノ巣駅を往復します。ご一緒できる方はどうぞ。

膀胱は心のカガミ

 NPOののはな5周年記念事業、次なる講師は西明寺診療所所長の市川晋一先生。市川先生は「エッチな“下ネタ”(泌尿器)先生」で全国的に有名な医師です。何たって東京スポーツ新聞に下ネタエッセーを連載しているくらいですから…。いつもお話しは爆笑ですが、ちゃんと医学的な裏付けがあるんです。で、今回の講話は「中高年のオシッコのトラブルと認知症の排泄ケア」。

 「あのね、皆さんの中にはおしっこが近くて苦労している人、おじいちゃん・おばあちゃんの介護でオシメを使っている人がいると思うけど、おしっこは精神的な部分も大分あるよ。中国には“膀胱は心のカガミ”って諺があるくらいだから。緊張したり、失敗したりしたとき、おしっこもらすことが多いべぇ。ストレスが原因だな。おしっこもらして隠そうとしている人、叱っちゃダメだよ」。なるほど。

 そう言えば昔、徒競走(古い!)のスタート前、必ずおしっこやうんこがしたくなったけど、あれはストレスだったのね。ん?じゃ、便秘の人は無頓着ってことに…?

1人じゃあの世に逝かれない

 昨日は朝から仙北市消防訓練大会、NPOののはな5周年記念事業、伊藤長三さん叙勲祝賀会と盛りだくさんの催し。いろんなお話が聞けてかなり充電。“なるほど”と思ったお話しをします。

 介護事業を行うNPOののはな5周年記念の講演会。「ボランティア35年・人は1人では生きられない」と題してお話しくださった高橋達さん。高橋さんはライオンズクラブの活動やあすの秋田を創る協会副会長などで忙しい方です。以前に事務長をしていた仙北市田沢湖の介護老人保健施設「田沢の郷」での逸話。入所者で認知症の方から「早く死にたい」と打ち明けられた高橋さん。その時、何と答えたかというと、「おばあちゃん、お迎えが来ないんだから無理だねえ。水先案内がいないとね。1人じゃあの世に逝かれないよ」。そうですね。今をしっかり生きなきゃ、お迎えに来てもらえない。手を引いて、あの世に連れてってもらえない。

2009年7月4日

時計職人 岡部司さん

 アポイントもとらず、秋田市牛島で時計店を営む岡部司さんを訪ねました。全国でも有名な時計修理のプロフェッショナルです。少しお話しをお聞かせくださいと、不躾なお願いにも手を休めて答えてくれて。お話の内容をほんの少しご紹介します。

 「生まれは西仙北の大沢郷です。15歳のとき、刈和野の時計店で修行を始めました。ここに6年いましたが、タイムレコーダーをガチャンと押して出勤したくてね。それで東京のラドー本社の採用試験を受けました。面接のとき、社長がどうして我が社を選んだのかと聞くので、ラドーはそれまで主流だった薄型の腕時計とは違う、ガッチリした時計づくりで流行を変えたメーカーだからと答えたんです。そしたら間違って合格しちゃって。それが東京オリンピックの年(昭和39年)です。ラドーにはお世話になりました。大阪に転勤している間も、横浜で開催されたスイス時計製造業者連盟(FH)主催の技術研修に、丸々1ヶ月出してもらって。私が関西地区では1期生です。でも社内派閥やら何やらでラドーを4年で退社し、秋田に帰ってきました。市内では大手の時計店に務めましたが営業に回されて。技術屋ですから、良くもない製品をウソいって売りたくないし。当時、国内メーカーはほとんどクオーツ時計を販売していて、直すよりも新品を買った方が安い時代でした。ただ、スイスでまた機械時計をつくり始めたという話しがあって、技術を生かせる時代が来ると予測しました。それで思い切って退社し自分の店を開きました。9年ほど前からホームぺージを開設し、今は全国(国外も)から時計修理の依頼を受けています。何だか秋田にものすごい時計職人がいるみたいな噂でしょ。違うんですよ。他で修理を断られた時計を直すことが多いだけです。今月中旬に、羽後町のオリエントを尋ねます。あそこは学校やら何やらが空いているし、そこで年季の入った時計屋さんを先生に迎えて、時計職人を養成できたらいいなあと、そんなことも考えたりしています」。

 ホームページをのぞくと、「思い出の時計を直してくれてありがとうございます」の感謝メールがたくさんありました。素敵な仕事です。