2013年10月31日木曜日

第136回秋田県種苗交換会(初日)

第136回秋田県種苗交換会(主催:JA秋田中央会)がスタートしました。生保内中学校吹奏楽部の演奏でオープニング(よかったあ!)。開会式では農業功労者として、秋田県畜産試験場の義平福造成グループ、神戸和猛登さん(果樹振興)、高野一彦さん(農村医療)、伊藤博さん(施設野菜振興)を表彰。多くの来賓もお迎えできました。
 仙北市内の各会場は初日から多くの皆さんが来場し、今日1日で72,000人が訪れたそうです(JA秋田中央会発表)。「おばこと願う輝く大地ふかまる絆」を合い言葉に、明日も多彩な事業が実施されます。

 朝のオープニング、また開会式では「仙北市の今日は、素晴らしい自然環境や文化遺産を守り伝えてくれた先達の営みの上に築かれたものです。私たちは、これら掛け替えのない可能性を資源に地域再生・協働のまちづくり・産業の6次化など各分野で挑戦を続け、小さな国際文化都市を目指しています。今回の種苗交換会は、被災地・岩手県と接し、また日本の穀物倉庫と称される仙北平野に位置する自治体として、震災後の東北を、秋田県農業はどのように支援できるか、将来の農業・農村が持続し発展するためのヒントを探りたいと思っています」などと、ごあいさつをさせていただきました。

 さて、明日の催事の主なものは、「談話会・稲作地域における担い手経営の発展・成長に向けた経営マネジメントの展開方法について(角館交流センター)」、秋田県土地改良事業推進大会(仙北市民会館)」、「秋田県・JAグループ6次産業化応援セミナー(樺細工伝承館)」、「農と地域の応援フォーラム(西木温泉)」、「北東北グリーンツーリズムネットワーク情報交換交流会(西木温泉)」などなど。農産物展示や特設食堂、農機具フェアなども大好評です。

 写真は、協賛第1会場の生保内中学校体育館展示フロアにある種苗交換会シンボルマーク。リンゴ・ピーマン・栗・菊・リンドウなどが使用されています。「左の円形で秋田のアを、右の円形で若芽の伸びる姿を図案化」しているそうです。昭和52年に制定されていて、考案者は秋田市在住の鈴木靖夫さんです。見事な出来映えでした。明日も晴れたらいいな!。

2013年10月29日火曜日

生薬の試験栽培スタート

先週から大手製薬メーカーのご協力をいただき、生薬原料の芍薬(シャクヤク)の植え付け作業が始まっています。写真は広久内の試験圃場のスナップ。広久内を含む市内3ヶ所で試験栽培にご協力をいただく皆さん、ありがとうございます。

 生薬生産の取り組みは始まったばかりですが、その輪が着実に広がりを見せています。製薬メーカーから担当者が来市しての勉強会にも、多くの方々の参加がありました。その参加の皆さんを中心に「仙北市生薬栽培の会」を立ち上げる構想です。
 また同製薬メーカーから、薬効のある樹皮についても様々なアドバイスをいただいています。畑での原料生産とあわせ、森林に恵まれた仙北市だからこそのビジネスチャンスもありそうです。

ANA総研と連携協定

仙北市とANA総合研究所の連携協定調印式です。ANA総合研究所はANAグループのシンクタンクで、航空企業経営に関する中長期的な諸課題に対する研究、コンサルティング、提言を行ってきました。最近になり地域活性化や観光振興、人材活用やアイデア発掘、新たな発想で空港活用ビジネスモデルの創出を、大学や自治体をはじめ各種団体と協働して研究しています。

 今後、仙北市観光の世界基準化に向けて多くの取り組みが行われます。高齢者にも身障者にも、大人にも子どもにも優しい観光地づくりを目指し、ユニバーサルツーリズムの徹底を具現します。既に調査活動は始まっていて、総務省の補助事業を導入し、同研究所から和田二郎アドバイザーにも着任をいただきました。さらに東アジア諸国に向けた輸出事業も視野に入れます。

 写真の右側の方がANA総合研究所の長瀬眞代表取締役社長。気さくな方だったので、「ミス・パイロット(フジ系列:ANAの全面協力によるテレビドラマ)の舞台に仙北市をご活用ください」と提案しました。もしロケになれば堀北真希さんや相武紗季さんに会えるかも…。

2013年10月25日金曜日

土石流災害の検証と対策

昨日開催の臨時議会終了後、記者会見で「8月9日発生の豪雨災害(先達地区土石流災害)の初期対応検証と新たな対策」を公表しました。災害が発生した前後の市役所や各関係機関がどのような対応を行ったか、これは次の災害で被害を最小限にくい止める教訓になります。また災害対策を行う全国の市町村にとっても重要な前例です。そんな意味合いから、これまで地道な聞き取り作業を行ってきました。大まかな内容は次の通りです。

 8月9日、災害発生の当日、対応は朝から始まっていました。当時は西木地区の上桧木内で降雨が激しく、8時10分には市の建設課が、同12分には角館消防署が対応に動き始めています。秋田気象台は8時32分に大雨・洪水警報を発表。9時に市は災害連絡室を開設。同30分には桁沢福田会館に住民を避難誘導。10時6分、秋田地方気象台は「これまでに経験したことのないような大雨」と言う表現で気象情報第3号を発表しました。10時25分、田沢の大深地区から「別荘地で土砂崩れ」の情報が入り、市や関係機関は田沢地区での対応も並行します。11時13分、市の建設課第3班が供養佛に到着。町内会長に会った後、大深地区の崩落現場に向かいました。土石流災害が発生したと思われる時刻は11時30分から35分の間です。
 雨が降り続き、ガスがかかった状況で山腹の視界は確保できなかったと言います。しかし現地で対応する消防署員の目前に土砂や丸太が迫ってくる状況から、土砂災害が起こっていることを消防司令に通報。現地から市に入る情報を基礎に、11時50分に市は災害対策部を設置。12時9分には消防署が現場本部を開設し現地情報を集約。災害規模が未だ不明な中で市に土石流が発生した旨の報告があったのが12時20分、市が最高警戒態勢の災害対策本部を決定し、関係機能を田沢湖庁舎へ移動し始めたのが12時30分。同時進行で各機関からの情報収集、一時的な天候の好転で視界が開けたことによる現場状況の再把握、行方不明者の精査などを進める中、人命救助作業が必要なこと、さらに二次災害の危険性があるとの判断で、避難勧告を発令したのが13時45分です。この45分から同53分の間に、漠然と土石流災害のイメージを持つことができました。14時10分には佐竹知事に自衛隊の派遣を要請。以降、捜索活動が本格化します。

 災害対応の基本とも言える「何が起きたのか」、「どこで起きたのか」、「それはどれくらいの規模なのか」など、必要情報の収集力(システム)が弱かったことは否めません。また当初から、「先達川が氾濫したのではないか」と言う先入観が先に立ち、土石流のイメージを持てなかったことも事実です。
 新たな対策では、まず職員の危機意識を日常業務から高次化することや、消防・警察機関と初期段階から情報を共有する体制ルールを整えることにしました。避難勧告の条件整備も防災計画に盛り込みます。また気象庁の特別警報などを踏まえ、緊急災害対策チームを立ち上げます。また住民の防災意識や危険箇所情報の事前把握が何より重要と考え、先週から各地区で自治防災組織の増加拡充を加速する説明会を始めました。参加した方々の意欲も高く、今回の災害が教訓となっていることを実感しています。自治防災組織の立ち上げで、防災訓練の開催や緊急連絡網の整備、雨量計の設置と管理などを進めることにしました。

 現在は市役所が分庁舎方式となっています。市役所組織として防災力を高めることに制約がある現状ですが、可能な限り来年度の組織再編に教訓を生かしたいと思います。

2013年10月17日木曜日

東北市長会での違和感

岩手県花巻市で第136回東北市長会。朝に田沢湖庁舎を出発し、11時から役員会、午後から総会でした。総会中、多くの決議がなされ、東日本大震災対策の早期復興に対する国への要望・東京電力福島第1原子力発電所の事故対策などは心から賛同。また各分科会での要望事項は、農業再生や地域公共交通の確保など、どれも重要案件で良い議論ができました。でも1つだけ違和感の残る提案があって…。

 それは緊急動議で提案された「医学部新設に係る特別決議案」です。この議案は、東日本大震災後に顕在化した東北地域の医師不足を何とか解決しようと、安倍総理が下村文部科学大臣に「東北地域に医師養成を加速する医学部を新設することを検討するように」指示したことを受けての発議です。
 新たな医学部設置は、全国でも30年以上の空白があり思い切った発言だったと思います。敏感に宮城県内の私立大学などが医学部併設に名乗りを上げたとの話しもあります。ありがたい方針ですが、これがかえって東北地域の医師不足を引き起こしかねないとの懸念を抱く関係者がいます。つまり医師を養成する過程で当然指導者が必要なわけで、その指導者(教授等)に東北地域の既存の医学部などから教授陣などが引き抜きされたら、ますます地域への医師提供力が弱くなってしまう、そんな心配です。

 これも分からない話ではありません。ただ緊急動議で提案された「医学部新設に係る特別決議案」では、新たな医学部には既に東北地域で医師として勤務する者は採用しないように規則化を要望する部分がありました。これはどうなんでしょう。行き過ぎではないでしょうか。自分の地域の医師を充足するために、地元にある指導力は温存しておいて、東北以外の地域から指導者を集める…、美味いところだけ一人占め?、自分勝手としか思えないのです。
 それとも、もっと深い理由があって、それであのような緊急動議となったのかなと、いろいろ考えているうちに審議時間が過ぎてしまい、結局発言も質問もできずに終わってしまいました。情けないです。

2013年10月16日水曜日

大桃さんスポーツ祭東京2013で銅メダル

都内の駒沢オリンピック公園総合運動場で開催された「スポーツ祭東京2013・第13回全国障害者スポーツ大会(10月12日~14日)」。この全国大会にフライングディスク・ディスタンス部門の秋田県代表で参加した大桃克也さん(写真中央:角館町小勝田在住)が、見事銅メダルを獲得しました。

 大桃さんは、「フライングディスクを始めて10年、ここ5年間は秋田県大会に出場をしていて何度か優勝もしました。でも全国レベルは格段に高かったです。記録をさらに伸ばして全国でも優勝したいと思います」(※今大会の大桃さんの記録は38.4m)と話していました。2020年の東京オリンピック・パラリンピックは狙わないのですか…と訪ねると、「まずは全国優勝、その後の国際大会です」。

 競技直前の緊張感は、大好きなB'zの音楽を聴いて解きほぐすとか。パラリンピックに出場して欲しいなあ。

2013年10月14日月曜日

薬師寺の山田管主の法話

昨日の夕方はぶなの森玉川温泉へ。がん患者の支援に熱心な佐藤義之さん(東京都:日本橋清洲クリニック院長)のご紹介で、今年も奈良薬師寺の山田法胤管主の法話会へ参加しました。

 山田管主の法話が“主役”ですが、その前にお話をされた佐藤院長のお話も非常に興味深い内容でした。健康を考えると「学ぶべきは動物学」として、多数の例をあげてくれました。体格(体の大きさ)と食事量や行動範囲の関係などは特に興味深い内容でした。例えば体が大きい動物は生息密度は下がり、そして体が大きい動物ほど行動範囲は広くなる…。これは自分にも当てはまりそうです。
 見て分かるように自分は体格(体重)が良いですから、ご馳走を一人占めするには当然回りに誰もいない方が理想だし、出張では特産品料理が唯一の楽しみだし…、まさにご指摘の通りです。

 さて山田管主の法話は、分かりやすくてユーモアに富んでいます。例えば東京オリンピックについては、「願心(目的)があるから人生を幸せに過ごせると、お釈迦様はそう言っています。東京オリンピックの開催が決まり、経済学者はなんぼの経済効果があるとか無いとか喧しいけれど、自分はそれよりも、ああ国民全てが、1億2000万人が、同じ目標を持つことができたな、幸せが増えたなと喜んでいます」と話します。
 例えば自己の存在については、「皆さんはお母さんから生まれてきましたが、それはお母さんだけの仕事ではなくて、お父さんも少しはお手伝いしているはずです。ところがお父さんとお母さんのさらにお父さんやお母さんも、皆さんには欠かせない存在です。10代遡ると、そこには2048人の親がいるそうです。その一人ひとりから皆さんは血やDNAをもらって存在している訳です。2000人以上いたら、良い行いをした人、そうでなかった人、色々いて当然です。人間というものは不思議で、ある瞬間、何かの縁に触れるだけで、体の中にある血やDNA(種)が動き出すこともあるのです」と話します。
 そして「今日の機械文明は神や仏が造ったものではなく、みんな人間が開発したものです。便利だったり、そして危険だったり…。自分はそれらを造り出した人間とは、いったい何者なのかという、その辺りをもっと研究しなければいけないと思っているんです」ともお話されていました。

2013年10月13日日曜日

障がい者ふれあい芸能文化発表会

昨日開催の「仙北市障がい者ふれあい芸能文化発表会」は、いろんなことを考える機会になりました。開催のごあいさつで久米力さん(社会福祉法人・秋田ふくしハートネット理事長)が、「人は一人では生きて行けない。社会は支え合いで成り立っている」。本当にその通り。でも頭で理解していても、日常的にその意識を持続できているかどうかは疑問です。「支えてもらっている、助けられている」を、「支えている、助けている」みたいに勘違いしていないかと自問自答。特に自分の仕事や市役所の仕事は勘違いを起こし易いかも…。

 ステージで発表のあった活動紹介では、
・仙北市視覚障害者協会
・仙北市身体障害者協会
・秋田県難聴者中途失聴者協会
・角館町手をつなぐ育成会
・大曲養護学校せんぼく分教室
 の皆さんが現状の取り組みなどをお話ししてくれました。会場にお越しいただいた皆さんも熱心に聞いていましたが、「この方々の横の連携はどうなっているんだろう」と少し心配に。平成28年には大曲養護学校仙北分校も開校します。良いタイミングではないでしょうか。ネットワークづくりは支え合いの基本ですから、あとでその辺りを聞いてみたいと思っています。

 写真は第1部の講演会「障がい者に寄り添って」(講師は布施秋子さん)の前段で、素晴らしいギター演奏を披露してくれた布施和生さん(手前の男性:講師の布施秋子さんの息子さん)と、サポーターの月陽さん(写真奧手)。布施和生さんは3歳で自閉症と診断されましたが、高槻市の公立小・中学校で学んだそうです。オモチャ代わりにしていたギターに興味を持って、小学校5年生からクラシックギターを本格的に学び、現在は各種のコンサートやラジオ・テレビに出演していて、先ごろCDデビューも果たしました。このギターの音色が、澄み切っていて本当に良かった!。

2013年10月10日木曜日

縦の絆

昨日の午後、名古屋市内で開催された「あきたリッチセミナーinNAGOYA」に参加。名古屋はトヨタ関連の企業が集積する大都市で、経済再生はこの街から始まるとさえ言われています。数ヶ月前、仙北市のアイディアをトヨタ本社に持ち込んだ出張以来の名古屋でした。

 さてリッチセミナーでは、「縦の絆」と言う新しい?言葉を耳にしました。お話をしていたのは今回のセミナーで講師を務められた内川晋さん(写真:トヨタ自動車東日本株式会社名誉顧問)です。内山さんは「なぜトヨタが世界で冠たる企業になれたか、それは関連企業との絆の深さはもちろんだが、社内の人間関係、特に縦の繋がりを重視していたことにその要因がある」と話していました。「自分が組織の中でどんな立場に位置しているのか、縦軸でものごとを捉える訓練が入社後から徹底して行われていて、それが各自の認識を強め、何をやらなければならないかのモチベーションを引き起こす」のだそうです。これまで重要だと言われ続けた“横に広がる絆”とは違う分析です。

 結局は絆や繋がりは一枚の布のようなもので、縦横の糸をしっかりと織り合わなければ良いものができない、そんな当たり前の結論に到達します。でもこれが難しいんです。

日本と台湾は運命共同体

昨年の訪台でご一緒させていただいた外交評論家の加瀬英明さんが、「日本と台湾」(祥伝社新書)を発刊され、興味深く読んでいます。日本統治の意味、何がなくなり何を産んだか、そして台湾交流の黎明期に田沢湖と澄清湖の姉妹湖提携があったことなど、認識を新しくしたことばかりです。ますます日本と台湾の良好な関係を大事に思います。

 さて写真は、都内で10月8日に開催された台湾の建国を祝う「102年国慶節祝賀会」の様子。壇上であいさつをしているのは沈斯淳・台北駐日経済文化代表処代表(大使館大使)です。沈代表は今年の5月に代表に着任されたばかりですが、既に2度にわたって仙北市を訪問くださっています。その沈代表が、あいさつで「日台の往来は昨年11月に締結した航空自由化協定でオープンスカイが実現して、日本の各地で台湾との航空路線が開設されています。修学旅行を日本で行いたいとする学校も増えてきました」と話し、これはもしかしたら仙北市の取り組みをPRしてくれたのかな?と思えた場面もありました。

 日本と台湾は運命共同体と言っている加瀬英明さんですが、その言葉を裏付けるように、例えば修学旅行の受入れなど身近な出来事が多くなってきたことを実感しています。

2013年10月9日水曜日

ユニバーサルツーリズムへの第一歩

仙北市の観光産業を何とか元気付けたい…、多くの市民が思うことの一つではないでしょうか。でも例えば人口を切り口に考えると、2006年から日本は人口減少国に転じていて、今後もその傾向は続くとされています。一方世界に目を向けると、特に東南アジアでは人口増加が続き、頼もしいほど経済活動が活発化している各国も多いのが現状です。

 今、看板産業としてもう一歩前進するためには、国内外での少子高齢社会への対応や、観光で訪れる高齢者や障がい者、地域で暮らす高齢者や障がい者に、優しくて安心を提供できる観光地にならなければいけません。「世界の誰もが安心して観光できるユニバーサルツーリズ」を定着させることがとても重要だと思っています。

 そこで総務省の「シニア地域づくり人」事業を導入し、(株)ANA総合研究所(本社:東京都港区)から和田二郎さん(写真左)をお迎えすることにしました。シニア地域づくり人は、3大都市圏内に本社機能がある民間企業に勤務する専門的なスキルや幅広い人脈をもったシニア人材が、地方の地域づくり活動・地域の課題解決・公益性の高い事業等に従事し、地域の元気力アップと夢の実現に道筋を付けようというものです。

 和田さんは向こう6ヶ月間を仙北市で過ごし、ユニバーサルツーリズムに必要な改善点の洗い出しや実践、国際観光地としての情報発信、ANA(全日空)との共同事業に取り組みます。皆さんも見かけたら気軽に声をかけてください。

2013年10月8日火曜日

感謝を申し上げます

8月の土石流災害、9月の台風18号被害と、仙北市は自然災害の猛威に打ちのめされた1年になっています。特に8月の土石流災害では、6人の命を救うことができませんでした。災害発生時とその対応についての検証結果は近日中に発表する予定です。全国の自治体や国民の皆さんに、仙北市で起きた災害を教訓にして欲しいという思いがあります。そうでなければ亡くなった皆さんに申し開きができません。

 昨日は、1日かけて災害対応にご尽力をいただいた関係機関に謝意をお伝えして回りました。仙北市議会(佐藤峯夫議長)の総意で行われた活動で、自分も同行させてもらいました。午前は県仙北地域振興局、また大曲仙北広域消防、午後は陸上自衛隊秋田駐屯地、秋田県庁、秋田県警、秋田県議会(写真:中央左が能登議長、右が佐藤副議長)などなど、です。

 地域振興局では佐々木局長や各担当部長、広域消防では鎌田副管理者や菅原消防長、自衛隊秋田駐屯地では西條副連隊長や高橋業務隊長、県庁では佐竹知事、堀井・橋口両副知事や各関係部長、県警はご配慮をいただき機動隊を訪ね、そこで志村県警本部長や坂本隊長に謝意をお伝えすることができました。
 自分は「現場で泥まみれになって任務を遂行された皆さんに心よりの感謝を申し上げます。皆さんのご努力があって、今日があることを仙北市民は忘れません」とお話をさせていただきました。改めて各機関の皆さんに御礼を申し上げます。

2013年10月6日日曜日

赤の女王の言葉

たまたまテレビを眺めていて、面白い…と言うかいつも思っていたことが世界共通の認識になっていることを知って、「やっぱり!」と意を強くしています。決して特別な考えではありません。皆さんも同じ様に思っているはずです。

 お伝えしたかったのは“赤の女王仮説”です。リー・ヴァン・ヴェーレンという人が1973年に提唱しました。もともと赤の女王は、鏡の国のアリス(ルイス・キャロル著)に登場するキャラクターですが、小説の中で彼女が「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならないのよ」という台詞があります。これをリー・ヴァン・ヴェーレンは進化の過程として、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならない仮説の説明を、赤の女王の台詞を借りて表現したんだそうです。

 さて土曜日・日曜日の仙北市は、桧木内・白岩小学校の学習発表会や角館中学校の合唱コンクール、ボランティアまつり、東北まちづくりオフサイト会議、平福百穂顕彰短歌大会、田沢湖ツーデーマーチ、各DC関連事業(曳山の激突・おもてなし事業)などなど、多くの取り組みが行われました。
 東日本大震災後、秋田を訪ねてくれる観光客数が思うように回復してくれません。また市勢も経済状況や自然災害などで、前進の予兆を感じることができない苦境の中です。もし赤の女王がこの場面で発言をするとしたら、「今の現状を維持するだけでも全力で走らなければならないのよ。でもそのレベルは皆さんの願いではないはず。震災以前、さらにその上の仙北市を目指しているのなら、大きく輪を広げて、手を携えて、これまで経験したことがないような最大努力をしないと、無理だわ」。こんな言葉になるでしょうか。

2013年10月4日金曜日

青森県藤崎町で平田町長と

青森県藤崎町を訪ね、平田博幸町長(写真左)と対談。きっかけをつくってくれた衆議院の木村太郎首相補佐官に心から感謝を申し上げます。藤崎町は「ふじりんご発祥の地」として余りに有名ですが、実は鎌倉時代から仙北市とのご縁が始まっています。

 藤崎町のりんご畑をぬって走ると、岩木山の麓に「唐糸御前史跡公園」が見えてきます。ここは鎌倉時代、五代執権・北条時頼(最明寺入道時頼)に愛された女性“唐糸”伝説を今に伝える公園で、唐糸のイメージ像なども建立されています。伝説の内容を紹介すると、
~唐糸は時頼に仕える心根の優しい才色兼備の女性でした。しかし時頼の愛を一身に集めたため周囲の女性の妬みを受け、鎌倉を逃れ生まれ故郷の津軽の藤崎に隠れ暮らしていました。時頼は病で執権職を退いた後、仏門に入り諸国行脚の旅に出ますが、津軽を訪れていることを耳にした唐糸は、見る影もないほどやつれた自分の姿を悲しみ、近くの柳の池に身を投じて生涯を閉じました。この話を聞いた時頼は唐糸の死を深く悲しみ、平等教院という寺院に墓を営みました。そして鎌倉に帰る道すがら7日ごとに寺を建立。一七日山→大館市釈迦内の実相寺、二七日山→秋田市内の釈迦堂光明寺、三七日山→仙北市西木町堂村の大国主神社…~、と言うわけです。

 先月、国道341号の災害調査で仙北市に入った木村太郎・首相補佐官に、「木村さんの出身地(藤崎町)と、私どもの仙北市は昔から唐糸伝説でご縁がある」とお話をしていました。一昨日、木村補佐官から市長選挙再選のお祝いの電話をいただいた際も、他人のような気がしない親近感を覚え(これは自分の勝手な思い)、勢いで藤崎町を訪ねてみました。

 ところで平田町長には、アポなしの訪問にもかかわらず大変な歓迎をいただきました。ご自身がりんご農家なこともあり、りんごのお話は尽きることがありません。「日本一のふじりんごを台湾の皆さんに提供したらどうでしょうね」と聞くと、「ふじりんごが誕生した地からというストーリーが良いですね」と答えてくれました。本当にありがとうございました。

2013年10月2日水曜日

男鹿市で全県市長会

昨日午後は、男鹿市で「第161回秋田県市長会定例会」。男鹿桜島リゾートホテルきららかがメイン会場です。久しぶりの男鹿だったので少し早く仙北を発ち、入道崎などを回り会場に入りました。日本海と切り立つ岸壁、本当に美しい景勝地です。

 さて市長会(会長は穂積志秋田市長)では、国や県に対する42項目にわたる要望事項を決定しました。継続して要望する事項は、「合併算定替の期限終了を見据えた地方交付税制度の見直し」や「医師確保と地域医療の充実」など33項目。一方で新規要望は「児童扶養手当制度の見直し」や「積雪寒冷地における企業進出を促す施策の創設」など9項目。継続項目数が多いということは、要望が叶っていない現実があるからです。さらに活動の活発化が必要です。

 ところで、総会終了後に訪ねた「なまはげ館」が素晴らしかった!。写真はなまはげ館の“なまはげ勢揃いコーナー”で、男鹿市内の各地で実際に使われている100体以上のなまはげ面を見ることができます。さらに横にある男鹿真山伝承館では、12月31日の夜の、なまはげ行事を再現しています。民家に入って暴れるなまはげ、それをいさめる家長の話術…、必見です。

2013年10月1日火曜日

市民に愛される病院をつくろう

10月1日、いよいよJR全社による秋田デスティネーションキャンペーンが始まりました。多くのお客様にお出でをいただき、仙北ファンになって欲しいです。市民の皆さん、おもてなしをよろしくお願いします。

 さて話しは変わり、今日は朝一番で市立角館総合病院へ。これまで時間をかけて協議をいただいた仙北市病院事業構想・市立角館総合病院基本設計策定委員会(委員長は秋田大学の近藤克幸教授)から、基本設計に関する最終報告書と計画説明書を受理しました。

 同委員会は、昨年8月から議論がスタートしています。委員数は8名。病院関係者や病院利用者、専門家などで構成しました。この皆さんの手で、市内の医療現状の分析から新病院の基本的な考え方、将来の姿までを想定しをいただきました。
 プロポーザル審査については、昨年12月26日の審査会で基本設計に携わる最適任者を選定、年が明けた1月21日には、その最適任者と宮川信病院事業管理者で新病院基本設計業務を締結。その成果品(基本設計書)について吟味を行い、その内容が報告書に反映されました。

 コンパクトな病院づくりを目指しています。竣工予定は27年秋。ざっくりと現構想を紹介すると、構造は鉄筋コンクリート造りで木材を多用した一部3階建て、診療科目は14科目、病床数は一般170床・精神36床、外来診療部門は全て1階に集約、患者が上下に階を移動することなく受診が可能になります。2階には一般病棟や手術室、中央材料室などを集中配置、3階は医局や管理部門を配置する構想です。今後、資材等の高騰で事業費が増加する見込みがあります。本格的な検討を始めます。また財源の課題に加え、新病院が市民に愛されるために大切なものを、スタッフが共有する作業も始まっています。